蝦夷

律令国家が支配領域を広げようとする中で激しく抵抗した、東北地方から北海道にかけて居住していた人々を朝廷側から何と呼んだか?
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★★★★

蝦夷 (えみし)

【概説】
古代の東北地方から北海道にかけて居住し、ヤマト王権や律令国家(朝廷)の支配に属さなかった人々の総称。農耕を主体とする朝廷側とは異なり、狩猟・漁労・採集と独自の農耕を組み合わせた生活様式を持っていた。国家の版図拡大の過程で激しい抗争と服属の歴史をたどり、日本の古代から中世の国家形成において重要な役割を果たした存在である。

中華思想に基づく「蝦夷」の概念と民族的実態

「えみし」という呼称は、当初「毛人」という漢字が当てられていたが、7世紀後半頃から中国の華夷思想(中華思想)における東方の異民族を指す「東夷」の概念を取り入れ、「蝦夷」と表記されるようになった。これは、天皇を世界の中心とする小帝国主義的なイデオロギーの表れであり、自らを「文明」とし、王化に服さない人々を「野蛮」と見なす政治的なレッテルであった。

彼らの民族的実態については古くから論争があるが、現在では、単一の異民族ではなく、縄文文化の伝統を色濃く残す続縄文文化や擦文文化の担い手を中心としつつ、関東や北陸から移住して朝廷の支配を脱した和人なども含む、多様な集団の総称であったと考えられている。

律令国家の北進政策と城柵の設置

7世紀中頃、斉明天皇の時代に阿倍比羅夫が日本海側を北上して遠征を行った記録が残るなど、ヤマト王権は徐々に北への進出を図っていた。奈良時代に入り律令国家が確立すると、朝廷は東北地方の開発と支配領域の拡大を国策として推進し始めた。

朝廷は前線基地として、太平洋側に多賀城(宮城県)、日本海側に秋田城(秋田県)などの城柵(じょうさく)を次々と築き、関東地方などから柵戸(きのへ)と呼ばれる農民を強制的に移住させて開墾と防備に当たらせた。朝廷は蝦夷に対して、位階や饗宴を与えるなどの懐柔策(同化政策)をとる一方で、従わない者には強大な軍事力による制圧(武力討伐)を行い、支配領域を北へ北へと押し広げていった。

三十八年戦争と阿弖流為の抵抗

8世紀末の光仁天皇から桓武天皇の時代にかけて、朝廷の強引な支配拡大に対して蝦夷の不満が爆発した。780年の伊治呰麻呂の乱を契機に、その後約40年にわたって続く「三十八年戦争」と呼ばれる泥沼の戦いが幕を開けた。

この戦いで最も著名な蝦夷の指導者が、胆沢(現在の岩手県奥州市周辺)を拠点とした族長・阿弖流為(あてるい)である。阿弖流為は、地の利を生かした巧みな騎馬ゲリラ戦術を駆使し、789年の巣伏の戦いでは紀古佐美が率いる数万の朝廷軍に壊滅的な打撃を与えた。しかし、桓武天皇によって征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂が、大軍を用いた軍事圧迫と独自の懐柔策を併用して迫ると、802年に阿弖流為は500余人の同胞とともに降伏した。田村麻呂は彼らの助命を嘆願したが、平安京の貴族たちの反対により阿弖流為は処刑され、胆沢地方は朝廷の支配下に入った。

俘囚の処遇と武士の誕生への影響

朝廷に服属した蝦夷は「俘囚(ふしゅう)」と呼ばれ、律令国家の支配体制に組み込まれた。朝廷は反乱を防止するため、彼らを全国各地へと強制移住させた。俘囚たちは優れた騎馬技術と「蕨手刀」などに代表される独特の武器、そして独自の弓射技術を有しており、国家の軍事力として重宝された。

しかし、各地で差別的な待遇を受けた俘囚はたびたび反乱(878年の元慶の乱など)を起こした。興味深いのは、この俘囚の優れた騎射戦術が、地方の豪族や治安維持にあたる人々に模倣され、後に発生する「武士」の戦闘スタイルの原点になったとされている点である。日本の武士団の成立には、蝦夷との軍事的な交わりが深く関わっていたのである。

中世以降の「えぞ」への概念的変容

平安時代後期になると、東北地方には安倍氏や清原氏、そして奥州藤原氏といった、蝦夷の系譜を引く、あるいは蝦夷と深く結びついた強大な在地豪族が台頭し、独自の文化圏を築き上げた。彼らが鎌倉幕府によって滅ぼされると、本州における蝦夷の独自性は徐々に失われ、和人社会へと完全に同化していった。

一方で、朝廷や幕府の支配が及ばなかった北海道(蝦夷ヶ島)以北に住む人々(現在のアイヌ民族の祖先を含む)に対して、中世以降は「えぞ」という呼称が定着した。このように「蝦夷」という言葉は、時代の変遷とともにその指し示す地理的範囲が北上し、民族的な意味合いも「えみし」から「えぞ」へと大きく変容していったのである。

蝦夷: 古代東北人の歴史 (中公新書 804)

辺境の地として中央から蔑まれた古代東北人の激動の生涯を、考古学と文献史学の視点から丹念に掘り起こした歴史探究の書。

蝦夷と東北の日本古代史: 幻の雄勝城をめぐる物語

幻の城柵・雄勝城の探索を通じて、律令国家の北進政策と抵抗する蝦夷の姿を鮮やかに描き出した東北古代史の決定版。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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