盧舎那仏 (るしゃなぶつ)
【概説】
大乗仏教の『華厳経』において、宇宙の真理そのものを体現するとされる仏。日本では奈良時代に聖武天皇の発願によって造立された東大寺の大仏の正式名称として広く知られている。当時の社会不安を仏法によって鎮めようとする鎮護国家思想の象徴として、国家的な信仰を集めた。
華厳経における宇宙の真理の体現
盧舎那仏(るしゃなぶつ)は、サンスクリット語の「ヴァイローチャナ」の音写であり、「光明あまねく照らす」という意味を持つ。主に大乗仏教の『華厳経(けごんきょう)』において中心的な信仰の対象とされる仏である。歴史上に実在した釈迦牟尼仏が人間として悟りを開いた姿であるのに対し、盧舎那仏は宇宙の真理そのものを神格化した絶対的な存在、すなわち法身仏(ほっしんぶつ)としての性格を持つ。太陽の光が世界中のあらゆる場所を平等に照らし出すように、盧舎那仏の慈悲と知恵の光は宇宙全体に行き渡り、すべての生きとし生けるものを包み込むとされた。
聖武天皇の鎮護国家思想と大仏造立
日本史において盧舎那仏が決定的な重要性を持つのは、奈良時代の聖武天皇による大仏造立である。当時の日本は、長屋王の変や藤原広嗣の乱などの政治的混乱、さらには天然痘の大流行や相次ぐ飢饉・大地震といった社会不安に直面していた。聖武天皇は、こうした国家の未曾有の危機を仏教の力によって乗り越えようとする鎮護国家思想に深く傾倒していった。
天皇は『華厳経』が説く「一即一切、一切即一(一つのもののなかにすべてのものが含まれ、すべてのものが一つのものに帰着する)」という壮大な世界観に国家の理想を重ね合わせた。すなわち、宇宙の中心である盧舎那仏を天皇自身(あるいは国家)になぞらえ、すでに建立を命じていた全国の国分寺をその世界観の末端として位置づけることで、中央集権的な律令国家体制の精神的支柱としようとしたのである。かくして743年(天平15年)、紫香楽宮において「大仏造立の詔」が発せられ、人民の力と富を結集して盧舎那仏の金銅像を造ることが宣言された。
東大寺大仏の完成と天平文化の象徴
盧舎那仏の造立事業は、莫大な銅や金を消費し、国家の財政を大きく圧迫する巨大プロジェクトであった。そのため、政府は当初弾圧していた民間布教の指導者である行基を大僧正として起用し、彼を慕う多くの民衆の労働力を得て工事を推進した。数々の技術的・資金的困難を乗り越え、752年(天平勝宝4年)に東大寺にて盛大な大仏開眼供養会(だいぶつかいげんくようえ)が執り行われた。この儀式にはインド出身の僧・菩提僊那(ぼだいせんな)が導師として招かれ、国内外から約1万人もの僧侶が参列する国際色豊かなものとなった。
こうして完成した東大寺の盧舎那仏坐像は、高さ約15メートルにも及ぶ巨大なものであり、唐や新羅、さらにはシルクロードを経た西域の影響を受けた雄大な天平文化の最高傑作である。盧舎那仏は単なる巨大な礼拝対象にとどまらず、国家の威信と平和な理想社会の実現を願う古代の人々の祈りの結晶として、日本史上に不滅の価値を放っている。