六国史

高校日本史的重要度
★★★

語呂合わせ:書記長に続けぇ!さらに後に続けぇ!文句あんのか三代世襲!?(書記長→日本書紀、続けぇ!→続日本紀、さらに後に続けぇ!→日本後紀、続日本後紀、文句→日本文徳天皇実録、三代→日本三代実録)

金正恩は北朝鮮三代目の総書記。

六国史 (りっこくし)

720年〜901年

【概説】
『日本書紀』から『日本三代実録』まで、奈良時代から平安時代前期にかけて国家事業として編纂された6つの正史の総称。いずれも漢文・編年体で記述されており、古代律令国家の歴史を知る上での最重要な根本史料である。

律令国家と正史編纂の意義

7世紀後半から8世紀にかけて、日本は唐の制度に倣って律令国家の建設を進めていた。国内の支配体制を固め、天皇を中心とする中央集権体制を確立するためには、天皇の支配の正当性を歴史的に位置づける必要があった。また、東アジアの国際社会(特に唐や新羅)に対して、文明国としての体裁を整えるという外交上の目的も存在した。

中国の歴代王朝は、前王朝の歴史をまとめた「正史」を国家事業として編纂し、自らの王朝の正当性を主張する伝統を持っていた。日本における国家主導の歴史書編纂(勅撰)もこの中華思想や正史の伝統に強く影響を受けており、独立した律令国家としての威信を示す一大プロジェクトであった。

六国史の構成と特徴

六国史は、以下の6つの歴史書から構成されている。
1. 『日本書紀』(720年完成):神代から持統天皇まで。
2. 『続日本紀』(797年完成):文武天皇から桓武天皇まで。
3. 『日本後紀』(840年完成):桓武天皇から淳和天皇まで。
4. 『続日本後紀』(869年完成):仁明天皇の一代のみ。
5. 『日本文徳天皇実録』(879年完成):文徳天皇の一代のみ。
6. 『日本三代実録』(901年完成):清和・陽成・光孝天皇の三代。

これらはいずれも漢文で記述され、出来事を年代順に記す編年体の形式がとられている。政治過程や法令の変遷、外交関係だけでなく、地方の情勢や自然災害、異変に至るまで詳細に記録されている。のちに菅原道真がこれら六国史の記述を神祇・帝王・礼儀などの項目別に分類・再編集した『類聚国史』を編纂するなど、平安時代の貴族社会においても重要な行政の参考資料として活用された。

正史編纂の途絶と歴史叙述の変化

『日本三代実録』が901年に完成した後、続く『新国史』の編纂も企図されたが未完に終わり、以後、国家による正史編纂は途絶えることとなった。この背景には、10世紀以降の律令体制の変容が深く関わっている。

天皇を中心とする公的な統治から、藤原北家による摂関政治(王朝国家体制)へと移行する中で、政治の関心は国家全体の公的記録よりも、特定の有力貴族の家格や、宮廷儀式の先例(有職故実)へと移っていった。その結果、政治の記録は藤原道長の『御堂関白記』に代表されるような貴族個人の日記(古記録)が担うようになった。

さらに歴史叙述の形も、漢文・編年体による硬直した公的記録から、『栄花物語』や『大鏡』といった仮名交じりの歴史物語へと変容していく。六国史の終焉は、単なる編纂事業の停止ではなく、古代律令国家から中世的社会へと向かう日本社会の構造的・文化的な転換を如実に物語っているのである。

最終更新:
2026年10月2日 @ 10:24

日本史一問一答(ランダム)

Q. 六国史の第2作目であり、文武天皇から桓武天皇までの奈良時代を中心とした歴史が記録されている正史は何か?
Q. 1905年、日本政府が閣議決定によって領土編入を再確認し、島根県の所管とした島はどこか?
Q. 1918年、吉野作造の影響を受けた麻生久や赤松克麿ら東京帝国大学の学生が結成した、大正期の学生運動・社会主義運動の先駆的団体は何か?