白瑠璃碗 (はくるりわん)
【概説】
奈良の東大寺正倉院に伝わる、ササン朝ペルシャ製とされる美しく透き通ったガラス製の碗。表面に施された精緻な円形カットグラス(切子)技法が特徴で、シルクロードを通じた東西文化交流の活発さを示す。聖武天皇の遺愛品として、光明皇太后により東大寺に献納された天平文化を代表する宝物の一つである。
ササン朝ペルシャに起源を持つガラス工芸
白瑠璃碗は、正倉院宝物の中でもとりわけ異国情緒を放つガラス器である。「白瑠璃」とは、現代でいう透明なガラス(鉛を含まないソーダ石灰ガラス)を指す。この碗の最大の特徴は、表面に隙間なく敷き詰められた86個の円形凹面カット(ファセット・カット)である。光を浴びると、カットされた凹面がレンズのように光を反射・屈折させ、神秘的な輝きを放つ。
近年の科学的な成分分析により、この碗のガラス組成は中近東特有の砂や灰を原料とするアルカリ石灰ガラスであることが判明した。これは当時の中国(唐)や日本で主流であった鉛ガラスとは明らかに異なる。同様の円形カットグラスが現在のイラン(ササン朝ペルシャの版図)に位置するギラン州などの遺跡から出土していることから、本作は6世紀から7世紀頃にササン朝ペルシャの工房で製作されたものと考えられている。
平城京への伝来と「シルクロードの終着点」
ササン朝ペルシャで製作された白瑠璃碗が、どのような経路を経て極東の日本にまでもたらされたのかは、歴史のロマンを掻き立てる。当時、シルクロード(絹の道)を往来したソグド人などの交易商人によって、まず唐の都である長安へと運ばれ、そこからさらに遣唐使や渡来人、あるいは交易商人たちの手によって日本(平城京)へともたらされたと推測される。
白瑠璃碗は、聖武天皇の崩御後、天平勝宝8歳(756年)に光明皇太后が天皇の冥福を祈って東大寺の大仏に献納した際の目録『東大寺献物帳(国家珍宝帳)』に「白瑠璃罐」または「白瑠璃碗」として記載されている。奈良時代の人々が、遙か西アジアに起源を持つ高度な工芸品を「天下一の至宝」として珍重し、宮廷生活の中で愛用していた事実は、当時の平城京がユーラシア大陸のネットワークと深く結びついていたこと、すなわち「シルクロードの終着点」であったことを雄弁に物語っている。