偽籍 (ぎせき)
【概説】
律令制下の日本において、農民が過酷な租税や兵役などの負担から逃れるため、戸籍の性別や年齢を偽って申告した不正行為。班田収授法を基盤とする公地公民制の根幹を揺るがし、初期律令国家の財政に深刻な打撃を与えた社会現象である。
偽籍を生んだ背景:正丁に課された過酷な税負担
大宝律令の制定(701年)によって整備された律令制では、税や労働の負担が個人の年齢や性別に基づいて厳格に区分されていた。特に17歳から65歳の健康な男性(正丁・しょうてい)には、庸や調といった特産物の納入義務に加え、国衙(地方官衙)での義務労働である雑徭(ぞうよう)、さらには国境警備にあたる防人(さきもり)や兵士として軍団に配属される兵役など、極めて重い負担が課されていた。
一方で、女性や高齢者、子供、障害を持つ人々にはこれらの負担が大幅に免除、あるいは軽減されていた。この負担の不均衡が、農民たちに偽籍という手段を選択させる最大の要因となった。農民は生活を維持するため、あるいは生存そのもののために、制度の隙を突く形で抵抗を試みたのである。
偽籍の具体的手法と「女戸」の実態
偽籍の最も代表的な手法は、男性を「女性」と偽って戸籍に登録することであった。これにより、課税対象となる男性を書類上から消し去り、税負担を免れることができた。この結果、一世帯の構成員の大半が女性として登録される女戸(にょこ)と呼ばれる異常な世帯が各地で急増した。
現代に残る8世紀前半の『周防国玖珂郡(くがぐん)戸籍』などの史料によると、世帯内の男女比が極端に偏り、女性の割合が全体の8割から9割に達するような事例が確認されている。さらに、課税年齢に達した男性の年齢を低く(小・少)あるいは高く(老・耆)ごまかす年齢詐称や、実在しない架空の人物を作り出す「実なきを実とする」手口も横行した。これらは、地方の有力者や戸籍を作成する地方官(郡司や里長)が、農民の苦境に同情したり、あるいは賄賂を受け取ったりして黙認・加担していたことが背景にある。
律令支配の動揺と崩壊への道程
偽籍の横行は、国家にとっては重大な税収不足と兵力不足を意味していた。政府は浮浪・逃亡や偽籍を取り締まるため、格(きゃく)や式(しき)などの法令を頻繁に発布し、戸籍の作成基準を厳格化しようと試みた。しかし、根本的な税負担の重さが解決されない限り、これらの小手先の対策が効果を発揮することはなかった。
偽籍による財政悪化と戸籍制度の形骸化は、公地公民を原則とする班田収授法の維持を困難にした。やがて政府は方針転換を余儀なくされ、723年の三世一身法、そして743年の墾田永年私財法の制定へと舵を切ることになる。偽籍という農民の消極的な抵抗は、日本の古代国家体制を律令制から、後の「名(みょう)」を基礎とする中世的な支配体制(王朝国家・荘園公領制)へと変容させる決定的な契機となったのである。