神祇官 (じんぎかん)
【概説】
律令制において、太政官と並び中央官制の頂点に置かれた、国家の神事と祭祀を司る中央官庁。大宝律令の制定により設置され、全国の神社や神職の統括、国家的な祭祀の運営を担った。唐の官制には存在しない日本独自の「二官八省」を構成する極めて象徴的な機関である。
二官八省制における位置づけと「祭政一致」の理念
日本の律令制は中国の唐の制度(三省六部)を模範としつつも、日本固有の社会事情や思想を反映して設計された。その最大の特徴が、行政全般を司る太政官(たいじょうかん)と、神事・祭祀を司る神祇官を並立させた「二官」の体系である。唐の制度では、祭祀は行政組織の一部(礼部)に組み込まれていたのに対し、日本においては神祇官を太政官と「同格」の独立した最高機関として位置づけた。これは、天皇が「現人神」として神々を祀り、その祭祀の権威を背景に統治を行うという、古代日本における祭政一致の理念を制度的に表現したものである。ただし、実際の政治的権力や行政実務においては太政官が優位に立っており、神祇官の地位は儀礼的な側面が強かった。
神祇官の具体的な職務と役割
神祇官の主な任務は、国家の安泰や五穀豊穣を祈るための国家的な祭祀(神事)を執り行うことであった。毎年2月の祈年祭(としごいのまつり)や11月の新嘗祭(にいなめのまつり)、さらには天皇の即位時に行われる大嘗祭(だいじょうさい)などの重要な儀式が、神祇官の主導によって挙行された。また、神祇官は全国の主要な神社を登録・管理し、国家公認の神社(のちに『延喜式』神名帳に記載される「式内社」となる)に対して神幣を配分する権限を持っていた。官内には、祭祀を専門とする中臣氏(なかとみうじ)や忌部氏(いんべうじ)、占いを担当する卜部氏(うらべうじ)などの祭祀氏族が任用され、伝統的な祭祀技術を世襲的に継承した。
神祇官の衰退と近代における復活
平安時代中期以降、律令制が弛緩し神仏習合が進展すると、神祇官の機能は次第に形骸化していった。国家的な祭祀の多くは個別の有力神社や、伊勢神宮、あるいは宮中で行われる仏教的儀礼に取って代わられていく。官職としての「神祇伯(じんぎはく:神祇官の長官)」は花山源氏である白川家(しらかわけ)が世襲するようになり、室町時代には吉田兼倶が創始した吉田神道が全国の神社支配を強めたことで、神祇官の権限は実質的に奪われていった。しかし、この古代の「神祇官」という制度概念は、幕末の尊王攘夷思想や明治維新期の「祭政一致」の模索の中で再び脚光を浴びることとなり、明治政府の初期に一時的に復活を果たすこととなる。