寺田・神田

重要度
★★

【参考リンク】
神田(Wikipedia)

寺田・神田 (じでん・しんでん)

7世紀末〜

【概説】
古代の律令制下において、特定の仏教寺院や神社の維持・祭祀を支えるために設定された田地。国家から租税(租)の免除を認められた不輸租田(ふゆそでん)の一種である。公地公民制の原則に対する例外措置であり、のちの荘園制へとつながる歴史的展開の先駆となった。

律令制の導入と「例外」としての不輸租田

大化の改新以降、律令国家はすべての土地と人民を国家が直接支配する公地公民制を原則とした。この体制下では、国家から農民に口分田が与えられ、農民はそこから収穫された米を「租」として国家に納める義務を負った。しかし、国家の鎮護や神仏の調和を重視する政権は、特定の神仏を祀る社寺の経済基盤を保証する必要に迫られた。

そこで、大宝律令(701年)や養老律令(718年)の「田令」によって明文化されたのが、寺田(じでん)神田(しんでん)である。これらは国家が公式に認めた「不輸租田」とされ、国家へ租を納める必要がなく、収穫のすべてを社寺の維持管理や祭祀の費用に充てることが認められた。

寺田と神田の制度的特徴と運用の差異

寺田と神田はともに社寺に与えられた不輸租田であるが、その設定や運用には違いが見られる。

神田は、主に伊勢神宮をはじめとする特定の有力神社(官社)に設定された。これらは在地の国司や郡司が管理し、神社に所属して祭祀を支える「神戸(かんべ)」と呼ばれる民衆などによって耕作された。祭祀の厳粛性を保つため、神聖な土地としての性格が強く、容易に売買や移動が行われないよう厳格に管理された。

一方、寺田は、大安寺、薬師寺、のちの東大寺などの官寺(国立寺院)に対して、天皇の勅許(施入)によって与えられた。寺田の経営は、寺院が直接、または間接的に奴婢や周辺の農民(賃租農民)を動員して行われ、寺院の学問や儀式の運営資金として用いられた。寺田は国家の仏教保護政策を最も端的に示す経済的指標であった。

初期荘園の形成と公地公民制の変容

寺田や神田は本来、国家の統制下において「限度」を設けて支給されたものであった。しかし、8世紀に入ると、人口増加に伴う口分田の不足を解消するため、国家は墾田永年私財法(743年)を制定し、私有地の開墾を公認する。これに乗じて、経済力と組織力を持つ大寺社は競って未開地を開墾し、広大な私有地(初期荘園)を形成していった。

この過程で、寺社は開墾した新たな土地に対しても、従来の寺田・神田に準じた不輸租の特権を要求するようになった。このように、国家の保護制度として出発した寺田・神田は、公地公民制の形骸化を促し、中世における広大な荘園領主としての社寺へと発展する出発点となったのである。

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日本中世の経済構造

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日本史一問一答(ランダム)

Q. 律令制度において、「正三位なら大納言」「正六位下なら国司の介」というように、位階の高さと就任できる官職が対応している原則を何というか?
Q. 九州一帯のみならず、海を渡って朝鮮半島南部にも流通した黒曜石の産地である佐賀県の山はどこか?
Q. 律令制の五色の賤のうち、国家に所有されて官公庁で使役され、売買の対象にもなった最下層の奴隷身分を何というか?