天皇(称号)

重要度
★★★

天皇(称号)

7世紀後半〜

【概説】
飛鳥時代後期(7世紀後半)の天武天皇・持統天皇の時代に、従来の「大王(おおきみ)」に代わって用いられるようになった日本の君主の称号。古代律令国家の形成過程において、中央集権的な王権の絶対性を示すとともに、中国の「皇帝」と対等な独立君主であることを対外的に誇示する目的で成立した。

「大王」から「天皇」への移行

かつてヤマト政権の首長は、5世紀頃から「大王(おおきみ)」または「治天下大王(あめのしたしろしめすおおきみ)」と称されていた。これは稲荷山古墳出土の鉄剣銘や江田船山古墳出土の鉄刀銘などからも確認されている。しかし、7世紀後半の飛鳥時代後期、壬申の乱(672年)に勝利して強力な権力を握った天武天皇およびその跡を継いだ持統天皇の時代に、君主の称号は「大王」から「天皇」へと変化した。この呼称変更は、単なる名称の変更にとどまらず、従来の氏族連合的な首長から、律令制に基づく中央集権国家の絶対的君主へと君主の性質が根本的に変質したことを意味している。歴史学においては、689年に施行された飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)において、法的に「天皇」号が明記されたとする説が有力である。

称号の由来と道教思想

「天皇」という言葉の語源については諸説あるが、中国の道教における宇宙の最高神「天皇大帝(てんおうたいてい)」に由来するという説が最も有力視されている。天武天皇は道教に強い関心を寄せており、「天皇」という称号を用いることで、自らを宇宙の摂理を体現する神聖な存在として位置づけようとしたと考えられる。また、同時代の中国(唐)において、674年に高宗が一時的に「天皇」と称した出来事があり、これが日本における同称号採用の直接的な契機になったとする見方もある。いずれにせよ、中国の伝統的な君主号である「皇帝」をそのまま用いるのではなく、あえて道教的色彩を帯びた「天皇」を採用した背景には、中華帝国とは異なる独自の王権理念を模索する意図があった。

東アジア国際環境と「小帝国」の確立

「天皇」号の成立は、当時の緊迫した東アジアの国際情勢と密接に関わっている。7世紀中葉、白村江の戦い(663年)で唐・新羅の連合軍に敗北した日本は、国家存亡の危機に直面した。これを受けてヤマト政権は急ピッチで国家体制の整備を進め、唐を中心とする東アジアの冊封体制から距離を置くようになった。日本は自らを独立した「神の国」と位置づけ、中国の「皇帝」と対等な君主として「天皇」を頂点とする独自の国際秩序(日本型華夷秩序)の構築を図ったのである。この「天皇」号は、遣唐使を通じた唐との外交交渉や、新羅などの周辺諸国に対する優位性の主張において、日本の君主の絶対的な威信を示すために不可欠なイデオロギー的装置であった。

神話の再構築と現人神の思想

「天皇」号の成立と同時期に進められたのが、『古事記』および『日本書紀』の編纂による国家神話の再構築である。天武天皇の命によって着手されたこれらの歴史書は、天皇家の祖先を太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)に直接結びつけ、その血統が万世一系で永遠に続くとする国家イデオロギーを完成させた。これにより、天皇は単なる世俗的な政治君主ではなく、神の血を引く「現人神(あらひとがみ)」としての絶対的な神聖性を獲得した。祭祀権と政治権力を一身に集めた「天皇」の存在は、古代日本の律令国家体制を思想的・精神的に根底から支えるものとなり、その後の日本史において長く特異な君主制を形作っていくこととなった。

謎の平安前期―桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年 (中公新書 2783)

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古代天皇制と政治・儀礼

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日本史一問一答(ランダム)

Q. 乾田の開発に不可欠であった、ため池や水路を造って人工的に水田へ水を引く作業を何というか?
Q. 弥生時代の3区分のうち、九州北部で本格的な水稲耕作が始まり、徐々に東日本へ広まっていった最初の時期を何というか?
Q. 旧石器時代の終末期(中石器時代)に登場した、長さ数センチの小型の石器で、木や骨の溝にはめ込んで使われたものを何というか?