私出挙 (しすいこ)
【概説】
古代日本において、貴族や豪族、大寺社などの富裕層が、農民に稲や財物を貸し付け、高い利息を徴収した私的な貸付制度。律令国家が地方統治と財政確保のために行った「公出挙(くすいこ)」に対比されるもので、農民の困窮化や初期荘園形成の引き金となった経済慣行。
出挙制度の基本構造と「公」「私」の区分
「出挙」とは、本来は春の端境期や植え付け期に種籾(または食糧用の稲)を農民に貸し出し、秋の収穫期に利息とともに回収する、共同体内の相互扶助に端を発した制度である。律令国家の形成に伴い、この慣行は国家の財政補填システムである公出挙として制度化された。これに対し、皇族や貴族、地方の有力豪族、大寺社などの私的な富裕層が、自らの富を増殖させるために行った貸付が私出挙である。飛鳥時代から大宝律令の制定(701年)を経て奈良・平安時代にかけて、公出挙と並行して広く行われた。
高利による農民の窮乏と階層分化
公出挙の利率が初期は5割(50%)、のちに3割(30%)へと制限されたのに対し、私出挙は法令による規制があったものの、実際には10割(100%、すなわち倍返し)に達するような暴利が横行した。天災や不作によって返済不能に陥った農民は、自らの口分田や身分を担保にせざるを得ず、事実上の債務奴隷として有力者に隷属していくこととなった。このことは、律令制が前提とした「公民(国家に直接支配される農民)」の減少を招き、社会の階層分化を急速に進める要因となった。
国家による抑制策と荘園制への展開
農民の没落や、税源となる公民の減少(浮浪・逃亡、偽籍の増加)を恐れた朝廷は、度々「私出挙制限令」を発令した。私出挙の利息の上限を元本の5割までと定めたり、公出挙の回収を私出挙よりも優先させるなどの法的規制を試みたが、実効性は薄かった。やがて、負債を抱えた農民が自らの土地を有力者に寄進して保護を求める動き(寄進地系荘園の源流)や、富豪層が私出挙の負債者を私属民(不輸・不入の権を背景にした荘園の耕作者など)として囲い込む動きが活発化し、後の荘園公領制へとつながる社会構造の変革を準備することとなった。