銅
【概説】
飛鳥時代において、仏教の受容に伴う仏像制作や、国家体制の整備に伴う貨幣鋳造の開始によって急速に需要が高まった主要な金属資源。大陸や朝鮮半島からの技術導入を経て国内での採掘・精錬が本格化し、信仰と国家財政の構築を物的に支えた。当時の経済および産業における最重要金属の一つである。
仏教公伝と金銅仏の製作
飛鳥時代における銅の最大の用途の一つが、仏教の受容と崇拝に伴う金銅仏(銅の表面に金めっきを施した仏像)の製作であった。蘇我氏が建立した飛鳥寺の本尊である飛鳥大仏(釈迦如来像)や、聖徳太子(厩戸王)ゆかりの法隆寺金堂釈迦三尊像などはその代表例である。これらの巨大な造像事業には膨大な量の銅が消費され、大陸や朝鮮半島から渡来した技術者の指導のもとで高度な鋳造技術が国内に定着していく契機となった。信仰の視覚化としての造仏は、東アジア諸国に対する倭国の文明化のアピールでもあった。
国家権威の象徴と「富本銭」の鋳造
7世紀後半、天武天皇の統治期になると、中央集権化(律令国家の形成)の進展に伴い、本格的な貨幣の鋳造が試みられた。これが1998年の飛鳥池遺跡(奈良県)の発掘調査などによって実態が明らかになった富本銭である。富本銭は銅にアンチモンを混ぜて鋳造された金属貨幣であり、呪術的な意味合いを併せ持ちながらも、初期の貨幣として機能したと考えられている。このように、銅は単なる日用品の素材に留まらず、国家が直接鋳造・管理する貨幣制度の根幹として、王権の支配力を誇示する役割を担うようになった。
和銅献上と「和同開珎」への展開
当初、良質な銅は朝鮮半島などからの輸入に依存する部分も大きかったが、国家としての自立を進める中で、国内での銅鉱山の探索と開発が急務となった。そして飛鳥時代の末期にあたる708年、武蔵国(現在の埼玉県秩父市付近)から天然の純度の高い銅である「和銅」が朝廷へと献上された。これを吉祥とした元明天皇は元号を「和銅」へと改元し、直ちに国産銅を用いた和同開珎の鋳造を開始した。この国産銅の発見と安定的確保は、その後の平城京への遷都や、天平文化を代表する東大寺大仏造立という国家的巨大プロジェクトを可能にする技術的・財政的土台となったのである。