応神天皇

重要度
★★

応神天皇 (おうじんてんのう)

生没年不詳、5世紀初頭

【概説】
5世紀初頭に実在した可能性が高いとされる、古代ヤマト政権の大王。大阪平野の古市古墳群にある全国第2位の規模の誉田御廟山古墳に比定され、河内地方に本拠を置いた新たな王朝の祖と評価される。記紀の伝承において、百済などの朝鮮半島諸国との通交を深め、渡来人を積極的に受け入れて先進技術や文化の導入に努めた大王として知られる。

実在の可能性と「河内王朝」の系譜

応神天皇(和風諡号:誉田別尊)は、神功皇后の朝鮮半島出兵(三韓征伐)の帰途に筑紫で生まれたという伝説的な出生譚を持つ。それ以前の初期天皇群に比べて考古学的な知見や大陸史料との整合性が高く、学術的に実在した可能性が極めて高い最初期の大王(大王)の一人とみなされている。歴史学においては、それまでの三輪山麓(大和盆地東南部)に本拠を置いた勢力(三輪王朝)から、大阪平野へと本拠を移した河内王朝(ワケ王朝)の初代、あるいはそれに深く関わる中興の祖とする「王朝交替説」が有力視されている。また、中国の歴史書『宋書』倭国伝に記された「倭の五王」のうち、最初の「讃」の父、あるいは「讃」自身に比定する説もあり、5世紀における大和政権の王権確立を象徴する政治的画期となった大王である。

渡来人の本格的流入と技術革新

応神期は、朝鮮半島からの渡来人(帰化人)が本格的に来日し、古代日本の社会や文化に決定的な転換をもたらした時期でもある。『日本書紀』などの伝承によれば、百済から阿直岐(あちき)や王仁(わに)が来日して『論語』や『千字文』をもたらし、日本に文字(漢字)や儒教を伝えたとされる。さらに、養蚕や織物技術に優れた秦氏(はたうじ)の祖とされる弓月君や、文筆や外交を担った東漢氏(やまとのあやうじ)の祖とされる阿知使主らが、一族を率いて渡来したと伝えられている。これらの渡来集団がもたらした鉄器製造、土木、養蚕、文字による記録などの先進技術は、ヤマト政権の官僚機構の整備や、国内の農業生産力向上・大規模開発を強力に推し進める原動力となった。

誉田御廟山古墳と八幡信仰の成立

応神天皇の墓として宮内庁により治定されているのが、大阪府羽曳野市にある古市古墳群の誉田御廟山古墳(誉田山古墳)である。墳丘長約425メートルに及ぶこの巨大前方後円墳は、堺市の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)に次ぐ全国第2位の規模を誇る。瀬戸内海の海上交通の要衝である河内平野にこれほどの巨大な墳墓が築かれたことは、当時の大王家が鉄資源や渡来技術を掌握し、国内の他豪族を圧倒する強大な権力を確立していたことの証左である。なお、後世において応神天皇は神仏習合の過程で武門の神である八幡神(はちまんしん)と同一視されるようになり、源氏をはじめとする武士層から篤い信仰を集め、中世以降の日本の精神世界・信仰体系にも大きな足跡を残すこととなった。

応神天皇の秘密―古代史朝廷ミステリー

謎に包まれた応神天皇の生涯を多角的な視点から検証し、巨大古墳の背景と権力の正体に迫る古代史ミステリーの決定版。

天皇はいつから天皇になったか?(祥伝社新書) (祥伝社新書 423)

初期ヤマト王権の成立過程を追い、神話のベールを剥がして天皇という存在の起源と変遷を解き明かす歴史探求の書。

日本史一問一答(ランダム)

Q. ヤマト政権の三蔵のうち、大王家(皇室)の私的な財産や個人的な宝物を管理していた蔵は何か?
Q. 前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼしたあとに朝鮮半島北部に設置し、倭人が使いを送った中国の出先機関(郡)はどこか?
Q. フランスで化石が発見され、ラスコーなどの洞穴に鮮やかな壁画を残したことで知られる代表的な新人は何か?