東漢氏

重要度
★★

【参考リンク】
東漢氏(Wikipedia)

東漢氏 (やまとのあやうじ)

5世紀頃〜

【概説】
5世紀の応神朝に渡来したと伝える阿知使主を祖とする、大和国を本拠とした代表的な渡来系氏族。優れた文筆技術や官僚的実務能力、軍事力を持ち、ヤマト政権において重要な役割を果たした存在。特に飛鳥時代には有力豪族の蘇我氏と深く結びつき、政界の動向を左右する軍事・技術基盤となった。

渡来の伝承と「東漢氏」の出自

東漢氏(やまとのあやうじ)は、古代日本において先進的な技術や文化をもたらした渡来系氏族の代表格である。『日本書紀』などの伝承によれば、応神天皇の時代に帯方郡(現在の朝鮮半島北西部)から多くの眷属を率いて渡来した阿知使主(あちのおみ)を始祖とする。大和国高市郡檜隈(現在の奈良県明日香村周辺)を本拠地とし、河内国を本拠とした西文氏(かわちのふみうじ)と並び、朝廷の実務を支える重要な存在となった。

「漢(あや)」の名は、彼らが中国の「漢」王朝の末裔を称したこと、あるいは優れた織物(文・綾)の技術を有していたことに由来するとされる。彼らは百済や高句麗などの朝鮮半島諸国を経由して渡来したと考えられており、大陸の高度な文化や技術を直接日本に伝えるパイプラインの役割を果たした。

朝廷における実務と技術官僚としての台頭

ヤマト政権における東漢氏の主な役割は、外交文書や財政記録の作成を行う「史(ふひと)」としての文筆活動であった。文字文化が未発達であった当時の日本において、読み書きや計算ができる技術は極めて希少であり、東漢氏は朝廷の「蔵(くら)」の管理や出納など、初期の官僚制的な実務を独占的に担った。

さらに、彼らは単なる文筆官僚にとどまらず、織物(錦織)、金属加工、鞍作、陶作といった高度な工芸技術を持つ技術者集団(部民)を統率する「伴造(とものみやつこ)」の地位にあった。飛鳥寺の造営や仏像制作で知られる鞍作鳥(くらつくりのとり/止利仏師)も東漢氏の一族であり、彼らが飛鳥文化の開花において主導的な役割を果たしたことは特筆に値する。

蘇我氏との結びつきと古代政争での興亡

東漢氏の歴史において最も重要な局面は、飛鳥時代の有力豪族である蘇我氏との緊密な同盟関係である。蘇我氏は仏教の受容や大陸の技術導入を進める過程で東漢氏の実務能力と軍事力を重用し、東漢氏もまた蘇我氏の権勢を背景にその地位を高めた。592年の崇峻天皇暗殺事件では、蘇我馬子の命を受けた東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)が実行犯となるなど、蘇我氏の手足となって動いた。

しかし、645年の乙巳の変(大化の改新の端緒)において、蘇我入鹿が暗殺されると東漢氏は大きな岐路に立たされた。入鹿の父である蘇我蝦夷の邸宅に結集した東漢氏の軍勢に対し、中大兄皇子側が説得を試みた結果、東漢氏は戦わずに武装解除し、蘇我氏の本家は滅亡した。これにより東漢氏は破滅を免れ、新たな政権下でも実務官僚として存続することに成功する。

その後、672年の壬申の乱では、一族の多くが大海人皇子(のちの天武天皇)側に従軍して武功を挙げた。天武天皇による中央集権化の過程で断行された「八色の姓(やくさのかばね)」の制定に際しては、東漢氏は「直(あたい)」から「忌寸(いみき)」の姓を授けられ、律令国家を支える技術系官僚としての地位を維持していった。

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