麻生太郎内閣

福田内閣のあとに成立したが、2009年の衆議院選挙で大敗し、自民党から民主党への歴史的な政権交代を許した内閣は誰の内閣か?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
麻生内閣(Wikipedia)

麻生太郎内閣 (あそうたろうないかく)

2008〜2009年

【概説】
福田康夫内閣の退陣を受け、2008年9月に発足した自民党・公明党の連立内閣。世界的な金融危機(リーマン・ショック)に伴う深刻な景気後退への対応に追われる中、支持率が急落。2009年の総選挙で歴史的大敗を喫し、民主党への本格的な政権交代を許すこととなった。

内閣の発足と「ねじれ国会」の混迷

2008年9月、支持率低迷により突如辞職した福田康夫首相の後を継ぎ、麻生太郎が第92代内閣総理大臣に就任した。麻生は高い知名度と国民的人気を背景に、迫り来る衆議院議員総選挙における自民党の「選挙の顔」として期待されての発足であった。しかし、当時の国会は参議院で野党・民主党が過半数を握る「ねじれ国会」の状態にあり、前内閣に引き続き厳しい政権運営を強いられることとなった。

リーマン・ショックと経済対策の断行

麻生内閣の発足直後、アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻に端を発する世界的な金融危機(リーマン・ショック)が発生した。日本経済も急激な円高と輸出減少に見舞われ、戦後最悪とも言われる景気後退に直面した。麻生首相は衆議院の解散・総選挙を先送りし、経済対策を最優先する方針を選択。全世帯を対象とした総額約2兆円に上る定額給付金の支給や、高速道路の休日割引(上限1000円)など、内需を刺激するための大規模な財政出動を矢継ぎ早に打ち出した。しかし、これらの政策は野党やメディアから「選挙目当てのバラマキ」との厳しい批判を浴びることとなった。

2009年総選挙と民主党への政権交代

景気対策に注力する一方で、麻生首相自身の度重なる失言や漢字の誤読問題、さらに日本郵政の社長進退をめぐる閣内の混乱などが重なり、内閣支持率は一桁台近くまで急落した。任期満了を間近に控えた2009年7月、麻生首相は衆議院解散(いわゆる「追い込まれ解散」)を決断。同年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙において、自民党は119議席と歴史的な惨敗を喫し、民主党が308議席を獲得して第一党となった。これにより、1955年の自由民主党結党以来、初めて選挙による本格的な政権交代が実現し、麻生内閣は総辞職を余余儀なくされた。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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