麻生太郎内閣 (あそうたろうないかく)
【概説】
福田康夫内閣の退陣を受け、2008年9月に発足した自民党・公明党の連立内閣。世界的な金融危機(リーマン・ショック)に伴う深刻な景気後退への対応に追われる中、支持率が急落。2009年の総選挙で歴史的大敗を喫し、民主党への本格的な政権交代を許すこととなった。
内閣の発足と「ねじれ国会」の混迷
2008年9月、支持率低迷により突如辞職した福田康夫首相の後を継ぎ、麻生太郎が第92代内閣総理大臣に就任した。麻生は高い知名度と国民的人気を背景に、迫り来る衆議院議員総選挙における自民党の「選挙の顔」として期待されての発足であった。しかし、当時の国会は参議院で野党・民主党が過半数を握る「ねじれ国会」の状態にあり、前内閣に引き続き厳しい政権運営を強いられることとなった。
リーマン・ショックと経済対策の断行
麻生内閣の発足直後、アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻に端を発する世界的な金融危機(リーマン・ショック)が発生した。日本経済も急激な円高と輸出減少に見舞われ、戦後最悪とも言われる景気後退に直面した。麻生首相は衆議院の解散・総選挙を先送りし、経済対策を最優先する方針を選択。全世帯を対象とした総額約2兆円に上る定額給付金の支給や、高速道路の休日割引(上限1000円)など、内需を刺激するための大規模な財政出動を矢継ぎ早に打ち出した。しかし、これらの政策は野党やメディアから「選挙目当てのバラマキ」との厳しい批判を浴びることとなった。
2009年総選挙と民主党への政権交代
景気対策に注力する一方で、麻生首相自身の度重なる失言や漢字の誤読問題、さらに日本郵政の社長進退をめぐる閣内の混乱などが重なり、内閣支持率は一桁台近くまで急落した。任期満了を間近に控えた2009年7月、麻生首相は衆議院解散(いわゆる「追い込まれ解散」)を決断。同年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙において、自民党は119議席と歴史的な惨敗を喫し、民主党が308議席を獲得して第一党となった。これにより、1955年の自由民主党結党以来、初めて選挙による本格的な政権交代が実現し、麻生内閣は総辞職を余余儀なくされた。