長登銅山 (ながのぼりどうざん)
【概説】
長門国(現在の山口県美祢市)に位置する、日本最古級の銅山遺跡。奈良時代に聖武天皇によって発願された東大寺大仏の造営において、鋳造に用いられた銅の主要な供給源となった官営鉱山である。
東大寺大仏造営を支えた巨大鉱山
奈良時代中期の天平15年(743年)、聖武天皇は社会の動揺を鎮めるため、仏教の力で国を護る「鎮護国家」の思想に基づき、東大寺盧舎那仏(大仏)の造営を命じた。この空前絶後の巨大事業には、およそ500トン近くもの膨大な銅が必要とされた。この大仏鋳造を物量面で支えた最重要拠点こそが、長門国の長登銅山であった。
近年の科学分析(鉛同位体比分析)によって、初代東大寺大仏の金属成分が長登銅山から産出された銅と極めて高い確率で一致することが学術的に証明されている。さらに、現地からは大仏に送る銅の荷札(木簡)なども出土しており、名実ともに大仏造営を支えた一大供給源であったことが明らかになっている。地名の「長登(ながのぼり)」は、大仏の原料となる銅を奈良へ送る「奈良登り」に由来するという説もあるほど、都との結びつきが深い地であった。
律令国家による官営生産体制と技術力
長登銅山は単なる採掘場にとどまらず、採掘から選鉱、精錬、そして鋳造にいたるまでの一連の工程が分業化された、古代の巨大産業コンプレックス(複合生産遺跡)であった。周辺からは、製錬の過程で生じる「スラグ(精錬滓)」や、銅を溶かすための「坩堝(るつぼ)」、さらには鉱山労働者が使用した木簡や土器が大量に発掘されている。
これらは、当時の律令国家がこの鉱山を直轄地(官営鉱山)として直接管理し、高度な技術者を都や渡来系技術集団から派遣して操業していたことを示している。長登銅山から産出された「粗銅」は、精錬された後に都へと運ばれ、大仏のみならず、皇朝十二銭(わが国最初の公鋳貨幣群)である和同開珎などの鋳造原料としても広く活用されたと考えられており、古代日本の貨幣経済の成立にも大きく寄与した。