金子直吉 (かねこなおきち)
1866年〜1944年
【概説】
明治から大正期にかけて、神戸の砂糖・樟脳商であった鈴木商店を日本最大の総合商社へと急成長させた実業家。同社の「大番頭」として辣腕を振るい、第一次世界大戦期の戦争景気を受けて莫大な利益を上げたが、のちの昭和金融恐慌により破綻に追い込まれた人物。
鈴木商店の「大番頭」と多角化戦略
土佐(高知県)出身の金子直吉は、神戸の砂糖・樟脳商であった鈴木商店に入社後、創業者である鈴木岩治郎の急死に伴い、未亡人である鈴木よねの信任を得て経営の実権(大番頭)を握った。金子は、それまでの単なる仲買商から脱却し、生産から流通までを一体化する近代的な総合商社への転換を志向した。樟脳の台湾総督府専売権獲得を契機に巨利を得ると、製糖、製粉、金属、化学など多岐にわたる事業分野へ進出し、のちの帝国人造絹糸(帝人)や神戸製鋼所などにつながる巨大な産業資本グループを形成していった。
第一次世界大戦での躍進と金融恐慌による没落
1914年に始まった第一次世界大戦において、金子は世界的な物資不足を見越して「バイ・エニシング(何でも買え)」の大号令を発し、投機的な買い占めを断行した。この戦略は大成功を収め、鈴木商店の売上高は一時的に三井物産や三菱商事を凌駕し、「天下三分の計」を唱えるまでに至った。しかし、戦後の反動恐慌や1923年の関東大震災による打撃が同社の資金繰りを圧迫する。主たる融資元であった台湾銀行からの資金供給に依存しすぎた結果、1927年の昭和金融恐慌において融資を停止され、鈴木商店は事実上の倒産に追い込まれた。金子の急進的な急成長路線は、近代日本の過渡期におけるバブル経済の象徴とその脆さを如実に示している。