野間清治 (のませいじ)
【概説】
大日本雄弁会講談社(現・講談社)の創業者であり、大正から昭和初期にかけて数々の国民的雑誌を世に送り出した出版実業家。独自の宣伝手法と「面白くてためになる」出版方針を掲げて『キング』などのメガヒット雑誌を連発し、「雑誌王」の異名をとった。
「面白くてためになる」出版方針と講談社の興隆
野間清治は1878(明治11)年、群馬県に生まれた。東京帝国大学法科大学の主席書記官などを務めた後、1909(明治42)年に大日本雄弁会を設立して雑誌『雄弁』を創刊。これが彼の出版事業の原点となった。さらに1911(明治44)年には講談社を設立し、伝統的な高座の講談を速記して掲載した『講談倶楽部』を創刊して大ヒットを記録した。のちにこの2つの組織を統合し、大日本雄弁会講談社とした。
野間の出版哲学は、徹底して「面白くてためになる」という通俗性と教育性の両立に置かれていた。それまでの近代日本の出版界は、知識人向けの難解な啓蒙書や文芸誌が中心であったが、野間は義務教育の普及によって台頭しつつあった一般大衆の読書欲求をいち早く見抜いた。彼は『少年倶楽部』『婦人倶楽部』など、対象読者を明確に分けた総合・専門雑誌を次々と創刊し、出版の商業化・大衆化を力強く牽引した。
雑誌『キング』の成功と大衆消費社会の到来
野間の事績において最も特筆すべきは、1925(大正14)年に創刊された大衆娯楽雑誌『キング』の驚異的な成功である。野間は新聞広告や全国の書店ネットワークを駆使した前代未聞の大々的なキャンペーンを展開し、創刊号だけで当時としては異例の74万部を完売させた。後に『キング』は100万部を超える「ミリオンセラー」を達成し、名実ともに日本初の国民的雑誌となった。
この『キング』の成功は、大正デモクラシー期に進行した都市化と大衆消費社会の成立を象徴する出来事であった。サラリーマンや女給といった新しい都市中間層が好む、均一化された「大衆文化」の形成において、野間が提供する活字メディアは決定的な役割を果たした。野間清治が推進した出版の大量生産・大量消費システムは、日本におけるメディア産業のビジネスモデルを確立させ、現代に続く情報社会の礎を築いたのである。