野焼き (のやき)
【概説】
窯(かま)を使用せず、平地や浅い窪地などの地面の上で直接火を焚いて土器を焼き上げる技術。縄文土器や弥生土器、および古墳時代以降の土師器(はじき)の製作において用いられた、日本列島における伝統的な土器焼成法である。
縄文土器から弥生土器への野焼き技術の進化
野焼きによる土器製作は縄文時代から行われていたが、弥生時代に入るとその技術は大きく進歩した。縄文時代の野焼きは、覆いのない開放的な状態で焼成されたため、熱が逃げやすく、焼成温度は600℃〜800℃程度にとどまっていた。そのため、縄文土器は肉厚で脆く、色は黒褐色を呈することが多かった。
これに対し、弥生時代の野焼きでは、成形した土器の周囲や上部をワラや泥、草などで覆う工夫がなされた。これにより、内部の熱を閉じ込める一種の「簡易的な窯」のような効果が生まれ、焼成温度は800℃〜900℃(あるいはそれ以上)の高温に達した。この技術改良によって、弥生土器は縄文土器に比べて薄手で非常に硬く、仕上がりも赤褐色を帯びた実用性の高いものへと進化を遂げたのである。
野焼きの特徴と「須恵器」登場による歴史的転換
野焼きは屋外の酸素が十分に供給される環境で行われるため、粘土に含まれる鉄分が化学反応(酸化)を起こし、焼き上がりが赤褐色になる酸化炎焼成(さんかえんしょうせい)となるのが特徴である。弥生時代を通じて、この方法で日常容器である甕(かめ)や鉢、貯蔵用の壺、供献用の高杯(たかつき)などが大量に生産され、農耕社会の成立と発展を支えた。
しかし、古墳時代中期の5世紀頃になると、朝鮮半島南部から登り窯(穴窯)を用いる高度な焼成技術が渡来人によってもたらされた。これにより、1000℃以上の超高温かつ酸素を制限した状態での還元炎焼成(かんげんえんしょうせい)が可能となり、青灰色で極めて硬質な須恵器(すえき)が生産されるようになる。これ以降、伝統的な野焼き技術は、須恵器と並行して生産され続けた在地系の日常食器である土師器(はじき)の製作へと引き継がれていくこととなった。