郵便制度
【概説】
1871(明治4)年、江戸時代の飛脚に代わって導入された、全国均一料金で信書などを送達する近代的な通信制度。前島密の建議によって創設され、情報の流通網を全国に張り巡らせることで、日本の中央集権化と近代化に大きく貢献した。
近代郵便制度の創設と前島密
明治維新後、新政府にとって全国を迅速かつ確実に結ぶ通信網の整備は、中央集権国家を建設する上で急務であった。そこで「日本資本主義の父」とも称される渋沢栄一の部下であり、のちに「郵便の父」と呼ばれる前島密(まえじまひそか)が、イギリスの制度を参考に近代的な郵便制度の導入を建議した。1871(明治4)年3月、東京・京都・大阪の三都と東海道の各宿駅間に新政府による国営の郵便業務が開始された。これが日本における近代郵便制度の幕開けである。この際、前島によって「郵便」「切手」「葉書」といった現在も使われる用語が定められた。
飛脚制度からの転換と「全国均一料金」の意義
江戸時代には、幕府の公用通信を担う道中奉行管轄の継飛脚や、庶民・商人の通信を担う町飛脚など、身分や目的によって分立した通信システムが存在していた。これらは距離や天候によって料金が変動し、費用も高額であった。これに対し、前島が導入した近代郵便制度の画期的な点は、距離に関わらず全国均一料金とし、郵便切手を前納制で貼り付けるシステムを採用したことにある。
これにより、誰もが安価で確実に通信を行えるようになり、情報伝達の民主化が進んだ。既存の飛脚業者は新制度の導入に激しく抵抗し、「陸運元会社」(のちの内国通運会社、現在の日本通運)などを設立して対抗したが、政府の保護と均一料金の利便性を背景に、やがて国営郵便が通信事業を独占していくこととなった。
郵便網の全国展開と国際化
1871年の創業当初は東海道筋のみであった郵便網は、翌1872(明治5)年には全国に拡大された。1873(明治6)年には全国均一料金制が確立し、飛脚の業務は徐々に郵便局に吸収されていった。郵便網の整備は、単にポストや郵便局を設置するだけでなく、道路や橋梁などの交通インフラの整備や、鉄道・汽船といった近代交通機関との連携を伴いながら急速に進展した。
さらに、1877(明治10)年には万国郵便連合(UPU)に加盟し、国際郵便の取り扱いも開始された。条約改正の実現に先立って国際機関への加盟を果たしたことは特筆に値し、これにより日本は国際的な通信ネットワークの不可欠な一部としての地位を確立し、欧米諸国との情報交換の円滑化が図られた。
近代国家形成における郵便制度の役割
明治政府が郵便制度の普及に注力した背景には、廃藩置県後の国内統治を確固たるものにするという強い政治的意図があった。政府の法令や布告を全国の末端にまで迅速に伝達し、同時に地方の状況を中央が正確に把握するためには、電信網とともに郵便網の整備が不可欠であった。
また、郵便制度は単なる通信手段にとどまらず、1875(明治8)年に開始された郵便為替や郵便貯金の制度を通じて、国民の零細な資金を吸収し、殖産興業や富国強兵のための国家的産業資金として活用する重要な機能も持っていた。このように、近代郵便制度は、単なるインフラ整備を超えて、日本の資本主義の育成と国民国家の形成を根底から支える極めて重要なプロジェクトであったといえる。