転害門 (てがいもん)
【概説】
東大寺の境内北西に位置する、奈良時代(天平宝字年間)建立の八脚門。度重なる戦火を奇跡的に免れ、創建当時の東大寺伽藍の面影を現代に伝える極めて貴重な国宝建造物である。
度重なる戦火を奇跡的に免れた不退の門
東大寺は歴史上、二度の壊滅的な大火に遭っている。一度目は平安時代末期の1180年、平重衡による南都焼討であり、二度目は戦国時代の1567年、松永久秀と三好三人衆の退路をめぐる東大寺大仏殿の戦いである。これらにより大仏殿をはじめとする主要な伽藍の大部分が焼失した。
しかし、東大寺の北西端に位置していた転害門は、これらの戦火から奇跡的に免れた。平城京の佐保路に面し、東大寺の西門として機能していたこの門は、度重なる災害や戦乱をくぐり抜け、東大寺創建期の木造建築の姿を今日に伝える唯一の門として、きわめて高い歴史的価値を有している。
天平建築の粋を集めた八脚門の構造
転害門は、建築様式としては「三間一戸(さんけんいっこ)の八脚門(はっきゃくもん)」に分類される。切妻造、本瓦葺の構造を持ち、正面に4本の円柱を立て、その前後(または後方)に計8本の控え柱を配する形式である。
鎌倉時代の大規模な修理の際に一部の部材の交換や補強が行われているものの、基本構造や組物、虹梁(こうりょう)などの意匠は、奈良時代後期の天平文化の特徴を色濃く残している。力強くも洗練されたプロポーションは、当時の洗練された国家的な建築技術水準を証明するものとして、国宝に指定されている。
「てがい」の名が示す歴史的・信仰的背景
「てがいもん」という名称の由来にはいくつかの説がある。一つは、東大寺の鎮守社である手向山八幡宮の祭礼「転害会(てがいえ)」の際に、神輿が出入りする門であったことに由来するという説である。また、表記として「手掻門」と書かれることもあり、これは鎌倉時代以降にこの門の周辺に居住し、東大寺に仕えた刀工集団「手掻派」の通称にもなった。
さらに、「害を転じる(災いを転じて福となす)」という意味を込めた吉祥名として「転害」の文字が当てられたともいわれており、この門が経てきた歴史的な奇跡そのものを象徴する名称となっている。