赤道以北旧ドイツ領南洋諸島 (せきどういほくきゅうどいつりょうなんようしょとう)
【概説】
第一次世界大戦中に日本軍が占領し、戦後は国際連盟の委任統治領として日本の実質的な支配下に置かれた赤道以北の太平洋諸島。マリアナ、カロリン、マーシャル諸島などで構成され、日本はこれらを「南洋群島」と呼んで領有に近い形で統治した。近代日本における「南進論」の具体化であり、のちの太平洋戦争における激戦地としての運命をたどることとなる地域である。
第一次世界大戦と日本海軍による電撃的占領
1914(大正3)年、第一次世界大戦が勃発すると、日本は日英同盟を大義名分として参戦を決定した。日本陸軍が中国のドイツ拠点である青島(チンタオ)を攻略する一方、日本海軍はドイツ東洋艦隊の掃討と南洋の拠点確保を目指して南下した。海軍は同年の10月までに、赤道以北に点在するドイツ領のマリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島をほぼ無抵抗で占領した。
この日本の電撃的な南進に対し、太平洋の覇権をめぐって対立関係にあったアメリカは強い警戒感を示した。しかし日本は、1917年にイギリスやフランス、ロシアなどと秘密協定を結び、戦後にこれら赤道以北の旧ドイツ領諸島の領有権を承認させる約束を取り付けるなど、外交的な布石を打って既成事実化を進めた。
ヴェルサイユ条約と「C型委任統治」による実質的領有
第一次世界大戦後の1919(大正8)年に開かれたパリ講和会議において、日本はこれら占領地の領有権を正式に主張した。これに対し、「領土不併合の原則」を掲げるアメリカ大統領ウィルソンは強く反対した。激しい議論の末、国際連盟の枠組みを利用した「委任統治」制度が導入され、日本が受任国となることで決着した。
旧ドイツ領南洋諸島は、委任統治領の中でも最も自国領土への編入に近い扱いが認められた「C型委任統治領」に分類された。これにより日本は、本国の法律を現地に適用することが可能となり、事実上の領土化を達成した。1920(大正9)年には、国際連盟理事会によって日本の委任統治が正式に承認された。
南洋庁の設置と「南洋群島」の開発・終焉
1922(大正11)年、日本政府はパラオ島のコロールに南洋庁を創設し、軍政から民政へと移行した。南洋庁のもとで、南洋興発株式会社(社長・松江春次)によるサトウキビ栽培や製糖業、リン鉱石の採掘、カツオ漁などの産業開発が急速に進められた。これに伴い、沖縄県や東北地方などを中心に日本本土からの移民が急増し、1930年代後半には日本人人口が現地住民(島民)の数を大きく上回る事態となった。
しかし、1933(昭和8)年の日本の国際連盟脱退後も、委任統治自体は継続されたものの、国際連盟による監視の目が届かなくなったことで、同地域は急速に要塞化・軍事拠点化が進められた。第二次世界大戦(太平洋戦争)期には、サイパン島、テニアン島、ペリリュー島などが日米激突の最前線となり、多くの民間人移民を含む甚大な犠牲者を出した末に、日本の統治は終焉を迎えた。戦後はアメリカの信託統治領(太平洋諸島信託統治領)を経て、現在はミクロネシア連邦やパラオ共和国などとして独立している。