赤不動(高野山明王院) (あかふどう)
平安時代
【概説】
高野山の塔頭である明王院に伝わる、平安時代の密教絵画。天台寺門派の祖である円珍が修行中に感得した不動明王の姿を、自らの頭をぶつけて流した血を混ぜて描いたという独特の伝説を持つ絵画である。
日本三不動と「赤不動」の美術史的価値
高野山明王院が所蔵する「赤不動」(正式名称は「絹本著色不動明王二童子像」)は、園城寺(三井寺)の「黄不動」、青蓮院の「青不動」と並び、日本三不動の一つに数えられる名宝である。画面中央に忿怒の相を浮かべ、全身を赤く彩色された不動明王が描かれ、その左右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)を配置する三尊形式をとる。美術史的な研究からは、平安時代中期(11世紀頃)の制作と推定されており、大陸から伝来した密教美術が日本において和様化を遂げつつも、精神的な迫真性と力強さを失っていなかった時期の傑作として評価されている。
円珍の感得伝説と密教信仰の隆盛
この「赤不動」には、天台寺門派の開祖である円珍(智証大師)にまつわる劇的な伝説が残されている。円珍が比叡山での修行中に、生身の不動明王を感得(目の前に現出)した際、その姿を写し取るために自らの額を岩にぶつけ、そこから流れた血を絵の具に混ぜて描き上げたというものである。実際の制作年代は円珍の入滅後であるが、このような伝説が生まれた背景には、平安時代の貴族社会で怨敵調伏や災厄除去のために盛んに行われた不動明王信仰(修法)の浸透と、宗派の正統性を示すために高僧を神格化しようとした信仰的要請が存在していた。