解由状 (げゆじょう)
【概説】
古代から中世の日本において、国司が交替する際に事務引き継ぎが滞りなく完了したことを証明するために、後任の国司から前任の国司に対して交付された文書。律令制下の地方行政における監査制度を象徴する官給文書である。
律令支配の維持と「交代」の実務
律令国家において、地方統治を担う国司の任務は極めて重要であった。国司の任期(原則4年)が満了して新旧の国司が交替する際、公有財産(官物)の管理や調庸の徴収・送進、戸籍の整備などの職務に不正や未済(未納)がないかを厳格に審査する必要があった。この国司の引き継ぎ手続きを交代(こうたい)と呼ぶ。
後任の国司(新任)は、現地に赴任した後に前任者の任期中の事務や財政状況を厳しく監査し、問題がないことを確認した上で解由状を前任者に交付した。「解由」とは「職を解く理由(職務を無事に終えた理由)」を明らかにするという意味であり、前任者の任務に落ち度がなかったことの証明書であった。前任国司はこの解由状を中央の官庁に提出することで、初めて次の官職に就く資格(得替:とくたい)を得ることができた。逆に、問題があれば解由状は交付されず、不合格を意味する「勘問(かんもん)」の対象となった。
勘解由使の設置と制度の変容
平安時代初期になると、国司の交替をめぐって前任者と後任者の間で対立が激化し、解由状の不交付や引き継ぎの遅延が多発するようになった。前任者が公金や官物を横領してごまかそうとしたり、逆に後任者が前任者の弱みにつけ込んで解由状の交付を拒否したりするなどの弊害が生じたのである。こうした事態を是正し、地方支配と国家財政の再建をはかるため、延暦16年(797年)に桓武天皇によって勘解由使(かげゆし)という令外の官(りょうげのかん)が設置された。
勘解由使は、国司から提出された解由状を厳しく再審査し、地方行政の適正化を推進した。しかし、平安時代中期以降に国司の現地赴任を行わない遙任(ようにん)が増加し、現地で実際に徴税を行う受領(じゅりょう)が台頭すると、地方支配のあり方は徴税請負的な性格を強めていく。これに伴い、国家による厳格な財政統制としての解由状はその実質的な意味を次第に失い、制度の形骸化とともに12世紀頃には衰退していった。