衆参同日選挙

1980年、大平正芳内閣の不信任案可決に伴う解散によって初めて行われた、衆議院議員総選挙と参議院議員通常選挙を同日に行う選挙を何というか?
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重要度
★★

衆参同日選挙 (しゅうさんどうじつせんきょ)

1980年

【概説】
衆議院議員総選挙と参議院議員通常選挙を、同一の投票日に実施する選挙手法。1980年(昭和55年)6月、大平正芳内閣のもとで日本政治史上初めて実施され、一般に「ダブル選挙」とも呼ばれる。

「ハプニング解散」と初の同日選挙の背景

1970年代後半の日本の政界は、自由民主党の議席が後退し、野党勢力と拮抗する「保革伯仲」の時代を迎えていた。さらに自民党内部では、大平正芳首相・田中角栄元首相を中心とする主流派と、福田赳夫・三木武夫らを中心とする非主流派による激しい派閥抗争(「四十日抗争」など)が激化していた。

1980年5月、社会党が提出した大平内閣不信任決議案に対し、自民党非主流派が本会議を欠席したため、不信任案が可決されるという事態が発生した。大平首相は総辞職ではなく衆議院の解散を決断。これは予期せぬ解散であったことから「ハプニング解散」と呼ばれる。この時、すでに定期的な実施が決まっていた第12回参議院議員通常選挙の日程に合わせる形で衆議院総選挙を行う、史上初の「衆参同日選挙」が決定された。

大平首相の急死と「弔い合戦」

同日選挙は、衆参両院の候補者が一体となって選挙運動を展開するため、組織力に勝る自民党に極めて有利に働くとされた。しかし、選挙戦の最中に大平首相が心不全で急逝するという衝撃的な事態が起こる。現職首相が選挙期間中に死去することは、政局に大きな地殻変動をもたらした。

大平の急死により、それまで激しく対立していた自民党内の各派閥は一時的に休戦し、結束を強めた。選挙戦は自民党にとっての「弔い合戦」の様相を呈し、有権者の同情票や保守回帰の心理を刺激することとなった。結果として、投票率は衆参ともに74%を超える高水準を記録し、自民党は衆議院で284議席、参議院で135議席を獲得する圧倒的な大勝を収めた。これにより鈴木善幸内閣が成立し、「保革伯仲」の時代は終焉を迎えることとなった。

衆参同日選挙の政治的効果と歴史的意義

衆参同日選挙は、有権者の関心を高めて投票率を上昇させる効果があり、浮動票の取り込みや組織力の最大化に繋がるため、与党側に極めて有利に作用する選挙戦術とされる。一方で、衆議院の解散権が参議院選挙という固定された日程に拘束・利用される点や、地方選挙への影響、二院制の独自性の形骸化といった憲法・制度上の問題点も指摘されている。

1980年の成功を経て、1986年(昭和61年)にも中曽根康弘内閣のもとで2回目の同日選挙(いわゆる「死んだふり解散」)が実施され、ここでも自民党は300議席を超える歴史的大勝を収めた。現代日本政治において、衆参同日選挙は与党が政治的主導権を握り、野党側の準備不足を突くための強力な選挙戦術として、その後も幾度となくその実施の是非が政局の焦点となって議論され続けている。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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