荏胡麻(荏胡麻油) (えごま(えごまあぶら)
【概説】
鎌倉時代以降、日本各地で盛んに栽培されるようになったシソ科の植物、およびその種子から搾取された灯明(照明)用の油のこと。寺社における儀式の増加や庶民の生活水準向上によって夜間の照明需要が高まったことで、広く普及した。室町時代にかけて同業者組合である座による専売制のもとで、中世の商品経済や広域流通網の発展を牽引する重要な役割を担った。
中世における灯明需要の拡大と荏胡麻の登場
古代日本において、灯明用の油としてはマツの根から採る松脂や動物性油脂、あるいはごま油などが用いられていたが、これらは大変な貴重品であり、貴族や大寺社などごく一部の特権階級しか利用できなかった。しかし、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、寺社における法会や夜間儀式の増加、さらには武士や庶民の生活水準の向上に伴い、明かりを灯すための油の需要が急増した。この旺盛な需要に応える形で注目されたのが、シソ科の一年草である荏胡麻であった。
荏胡麻の栽培拡大と搾油技術の進歩
荏胡麻は比較的痩せた土地や寒冷な気候でも育ちやすく、虫害にも強いという特性を持っていた。鎌倉時代に入り、農業技術の進歩や二毛作の普及が進むと、畿内やその周辺地域を中心に荏胡麻の栽培が大規模に行われるようになった。さらに、収穫された荏胡麻の種子から油を抽出するため、「長木(ちょうぎ)」と呼ばれるてこの原理を応用した大型の搾油具など、効率的な圧搾技術が発達した。これにより、質の高い荏胡麻油が大量生産される基盤が整い、灯明油として急速に普及していった。
大山崎油座の台頭と中世商業網の形成
荏胡麻油の歴史を語る上で欠かせないのが、その生産と流通を独占した座(同業者組合)の存在である。中でも最も有名なのが、山城国(現在の京都府大山崎町)の離宮八幡宮を本所とした大山崎油座(おおやまざきあぶらざ)である。彼らは神社に属する「神人(じにん)」としての身分を利用して、朝廷や幕府から畿内一円における荏胡麻の独占買い付け権や、関所での通行税(関銭)免除といった強力な特権を獲得した。
大山崎油座は全国の荘園や公領から原料となる荏胡麻を買い集め、精製した油を京都や奈良などの大都市へ供給することで莫大な富を築き上げた。荏胡麻油は単なる日用必需品にとどまらず、中世における特権的商業資本の形成や、広域にわたる水陸の流通網の発展を象徴する極めて重要な商品作物であった。
菜種油の普及と荏胡麻油の衰退
鎌倉時代から室町時代を通じて日本の夜の照明を支え、絶頂期を迎えた荏胡麻油であったが、戦国時代から江戸時代にかけて大きな転換期を迎える。織田信長や豊臣秀吉によって推進された楽市・楽座の政策により、大山崎油座などが持っていた独占的特権が否定され、特権商人たちの解体が進んだのである。
さらに江戸時代に入ると、荏胡麻よりも安価で明るく、搾油効率も高い菜種油(なたねあぶら)や綿実油の生産が本格化し、広く流通し始めた。これにより、照明用油の主役の座を奪われた荏胡麻の栽培は次第に衰退していった。しかし、荏胡麻が中世の貨幣経済の浸透や、都市商業の飛躍的な発展に果たした歴史的意義は計り知れない。