緊急勅令

帝国議会が閉会中に緊急の必要がある場合、天皇大権によって法律に代わって発せられる命令を何というか?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
緊急勅令(Wikipedia)

緊急勅令 (きんきゅうちょくれい)

1889〜1947年

【概説】
大日本帝国憲法第8条に基づき、帝国議会の閉会中に、国家や公共の安全を守るため緊急の必要がある場合に法律に代わって発せられた天皇の命令。天皇が持つ強力な権限である「天皇大権」の一種。立憲政治を維持するための例外措置として規定されたが、後には議会を迂回した強権的な立法手段として利用された。

大日本帝国憲法第8条の規定と「天皇大権」

1889年(明治22年)に発布された大日本帝国憲法は、君主権の強いプロイセン(ドイツ)の憲法を模範としており、天皇に強大な権限である天皇大権を認めていた。その一つが、憲法第8条に規定された緊急勅令である。

この規定によれば、天災地変や重大な政治・経済的危機の際、帝国議会が閉会中であり、かつ臨時会を召集する時間的余裕がない場合に限り、政府は法律に代わる効力を持つ「勅令」を天皇の名において発布することができた。これは、議会政治が機能しない緊急事態において、国家の自己保存を図るための防衛措置として位置づけられていた。

議会による事後承諾制度とその限界

緊急勅令は強力な権限であったため、憲法上の一応の歯止めとして、次の会期において帝国議会の承諾を得る必要があると定められていた(憲法第8条第2項)。もし議会が承諾しなかった場合、その緊急勅令は「将来に向かってその効力を失う」とされ、政府は失効を公表しなければならなかった。

しかし、実際には政府がすでに実施してしまった措置を議会が否決することは、政治的混乱を招くため極めて困難であった。そのため、事後承諾制度は実質的な抑止力となりにくく、政府が既成事実を積み重ねて議会を主導する道具として使われる傾向があった。

昭和期における「治安維持法」改悪への利用

緊急勅令が日本近代史において最も否定的な形で機能した例が、1928年(昭和3年)の田中義一内閣による治安維持法の改悪である。

前年の1927年に結成された日本共産党に対する弾圧(三・一五事件)を契機に、田中内閣は治安維持法の最高刑を「死刑・無期懲役」に引き上げる法改正を企てた。しかし、この増刑案は帝国議会で反発を招き、審議未了のまま議会が閉会となった。そこで田中内閣は、議会を迂回して1928年6月に緊急勅令(勅令第129号)として治安維持法の改正を強行したのである。翌年の議会で事後承諾は得られたものの、この措置は「議会政治の否定」として厳しい批判を浴びた。のちのファシズム期における言論弾圧や強権支配の道は、こうした緊急勅令の濫用によって地ならしされていった。

第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)、日本国憲法の施行にともない、国会を「国の唯一の立法機関」と定めたことにより、議会をバイパスする緊急勅令の制度は廃止された。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 江戸の日本橋にあり、市民の台所として活況を呈した巨大な魚市場はどこか。
Q. 江戸時代、学者や医師などが個人で開設し、武士や庶民など身分を問わず学問や技術を教えた教育機関を総称して何というか?
Q. 1790年、松平定信が幕府の学問所(聖堂学問所)において、朱子学以外の学問を教授することを禁止した法令は何か?