宣戦布告・条約締結
【概説】
大日本帝国憲法において規定された、天皇が議会の協賛を経ずに単独で行使できる権限(天皇大権)の一つ。宣戦、講和、および諸般の条約を締結する外交・軍事上の最高権限を指す。帝国議会の干渉を受けることなく、国家の命運を左右する外交的意思決定を迅速かつ一元的に行うために位置づけられた制度である。
明治憲法第13条と天皇の外交大権
1889年に制定された大日本帝国憲法第13条には、「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」と規定されていた。これが俗に「宣戦布告・条約締結」の大権と呼ばれるものである。この規定により、対外的な戦争の開始(宣戦)や終結(講和)、他国との条約締結といった最重要の外交行為は、国民の代表機関である帝国議会の協賛(同意)や承認を必要としない「天皇の専権事項」とされた。
憲法制定を主導した伊藤博文らは、政党政治による党利党略が国家の外交・防衛政策に介入することを極度に警戒した。そのため、外交大権を議会から独立した天皇大権と位置づけることで、国家の意思決定の統一性と敏速性を担保しようとしたのである。
輔弼体制と現実の運用
憲法上は天皇の独裁的権限のように見えるが、実際の政治運用においては、天皇が独断で宣戦布告や条約締結を決定したわけではない。憲法第55条の規定に基づき、内閣総理大臣や外務大臣などの国務大臣が「輔弼(ほひつ)」を行い、その責任において閣議決定された方針を天皇が裁可する、というのが基本原則であった。
さらに、国際的な大事件や条約の批准にあたっては、天皇の最高諮問機関である枢密院での審議・同意が必要とされたほか、明治・大正期には元老たちによる非公式な合議が最終決定において極めて重要な役割を果たした。このように、大権の行使には重層的な意思決定プロセスが存在していた。
大正・昭和期の動揺と歴史的影響
大正デモクラシー期には政党内閣が誕生し、議会や世論の意向が間接的に外交に反映されるようになった。しかし、昭和期に入ると、この外交大権と軍部の権限である統帥権(明治憲法第11条)との整合性が問題化する。1930年のロンドン海軍軍縮条約締結の際には、政府が軍令部の反対を押し切って条約を調印したことが「統帥権干犯」にあたるとして、野党や右翼、軍部から激しい非難を浴びる政治問題へと発展した。
やがて軍部が独走し、元老などの重臣による調整機能や内閣の輔弼体制が形骸化していくと、天皇大権としての宣戦布告や条約締結は、軍部の決定を追認するための形式的な手続きへと堕した。この外交・軍事における議会統制(シビリアン・コントロール)の欠如が、最終的に日本を国際連盟脱退や日独伊三国同盟の締結、そしてアジア・太平洋戦争へと導く構造的な要因となったのである。第二次世界大戦後の日本国憲法においては、外交権は内閣に属し、条約の締結には国会の承認が必要であると改められた。