天皇大権 (てんのうたいけん)
【概説】
大日本帝国憲法体制下において、帝国議会の協賛(承認)を必要とせずに天皇が独自に行使できた極めて強大で幅広い権限の総称。天皇が国家の「統治権の総攬者」であるという建前のもと、国務・統帥・皇室などの多岐にわたる分野で規定され、近代日本の政治や軍事に多大な影響を与えた。
大日本帝国憲法と「統治権の総攬者」
1889年(明治22年)に公布された大日本帝国憲法は、第1条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定め、第4条で天皇を「統治権の総攬者」と規定した。天皇は国家の最高権力者としてあらゆる国家権力を一身に集約するとされたが、同時にその権力の行使は「憲法ノ条規ニ依リ」行われるという立憲主義的な制約も受けていた。しかし、実際には憲法上に数多くの例外規定が設けられており、帝国議会の関与(協賛)を経ずに天皇の意思として決定・行使できる権限が広範に認められていた。これが天皇大権である。この制度設計には、プロイセン憲法を範としつつ、議会の権限をできる限り制限して君主権を強化しようとした伊藤博文ら明治初期の藩閥政治家の意図が強く反映されている。
天皇大権の種類とその構造
天皇大権は、その性質や対象によって大きくいくつかに分類される。第一に、国政全般に関する国務大権である。これには、法律に代わる命令を発する緊急勅令の制定権(第8条)や、法律の執行に必要な独立命令を発する権限(第9条)、行政各部の官制や文武官の任免を定める官制大権(第10条)、宣戦・講和・条約締結を行う外交大権(第13条)、戒厳の宣告権(第14条)などが含まれる。これらは国務大臣の輔弼(ほひつ)を必要としたものの、議会の統制外に置かれていた。
第二に、軍事に関する権限である。憲法第11条で「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と規定された統帥大権(統帥権)と、第12条に基づく軍の編制大権である。第三に、皇室の家務に関する皇室大権である。皇室の家法である皇室典範は憲法と同等の効力を持つとされ、帝国議会はこれに関与することが一切できず、皇室の自律性が強く保障されていた。
「統帥権の独立」という陥穽
天皇大権の中でも、近代日本の命運を大きく左右したのが統帥大権である。統帥権は、軍隊の作戦用兵に関する指揮命令権であり、一般の国務から切り離され、国務大臣(内閣)や帝国議会の関与を受けない統帥権の独立という解釈が確立していた。天皇の軍事顧問である参謀本部(陸軍)や軍令部(海軍)の長は、内閣総理大臣を経由せずに直接天皇に軍事上の意見を上奏する特権を持っていた。
この特権的構造は、当初は政治家による不当な軍事介入を防ぐ目的で設けられたが、昭和期に入ると政党内閣の軍縮政策に対する軍部の強い反発を招くことになった。1930年(昭和5年)のロンドン海軍軍縮条約締結に際して起きた統帥権干犯問題を契機として、軍部は「統帥権の独立」を盾に政府の統制を脱するようになる。やがて満州事変以降、軍部が独走して国家を無謀な戦争へと引きずり込んでいく最大の制度的根拠となってしまったのである。
大権の終焉と象徴天皇制への転換
天皇大権を軸とした大日本帝国憲法の体制は、1945年(昭和20年)のポツダム宣言受諾と日本の敗戦によって事実上崩壊した。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下における民主化政策の過程で、国民主権を基本原理とする日本国憲法が制定されると、天皇の地位は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」へと大きく転換した。
日本国憲法において、天皇は「国政に関する権能を有しない」と明記され、その職務は内閣の助言と承認に基づく形式的・儀礼的な国事行為のみに限定された。これにより、半世紀以上にわたって日本の政治構造の中核を担ってきた天皇大権は完全に消滅し、名実ともに国民主権に基づく民主主義国家へと生まれ変わることとなった。