紀古佐美 (きのこさみ)
733年〜797年
【概説】
奈良時代末期から平安時代初期にかけて活躍した公卿であり武官。桓武天皇による蝦夷征伐において征東大将軍に任じられたが、阿弖流為率いる蝦夷の軍勢に大敗を喫したことで知られる人物。
巣伏の戦いにおける大敗と阿弖流為の台頭
789年(延暦8年)、桓武天皇は陸奥の蝦夷を服属させるため、紀古佐美を征東大将軍に任命して大規模な遠征軍を派遣した。古佐美率いる朝廷軍は北上し、現在の岩手県奥州市付近で蝦夷の指導者である阿弖流為(アテルイ)の軍勢と対峙した。しかし、地形を熟知した蝦夷側の巧妙な伏兵戦術とゲリラ戦法に翻弄され、衣川を越えた巣伏(すぶせ)の戦いにおいて朝廷軍は壊滅的な打撃を受けた。この大敗により、朝廷の東北支配計画は一時的に頓挫することとなった。
敗戦の影響と朝廷の蝦夷政策の転換
大敗の報告を受けた桓武天皇は激怒し、帰京した紀古佐美を厳しく糾弾・査問した。古佐美は軍事的な無能を責められて事実上失脚したが、この敗北は単なる一将軍の失策にとどまらず、朝廷の軍事政策そのものに大きな変革を迫る契機となった。朝廷は従来の動員兵力に頼る力押し戦術の限界を悟り、軍制の再編や兵站の整備、現地調停の強化を余儀なくされた。この手痛い教訓が、のちに坂上田村麻呂が征夷大将軍として蝦夷平定に成功する土台となったのである。