第4次中東戦争
【概説】
1973年10月に勃発した、イスラエルとアラブ諸国との間の第4回目の戦争。アラブ石油輸出国機構(OAPEC)などの石油戦略により、日本を含む世界中に「第1次石油危機(オイル・ショック)」を引き起こし、日本の高度経済成長を終焉へと向かわせた契機となった歴史的事件。
戦争の勃発とアラブの石油戦略
1973年10月6日、ユダヤ教の贖罪の日(ヨム・キプール)に、エジプトとシリアがイスラエルへ奇襲攻撃を仕掛けたことで第4次中東戦争が勃発した。これに対し、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)はイスラエルを支援する西側諸国への対抗措置として、原油生産の削減と友好国以外の国々への禁輸を決定した。さらに、石油輸出国機構(OPEC)のペルシャ湾岸6カ国は原油価格を約70%引き上げることを発表した。この「石油を武器とする戦略」は、エネルギー資源を中東に依存していた先進工業国、とりわけ日本に大きな衝撃を与えることとなった。
日本経済への直撃と「狂乱物価」
当時、エネルギーの大部分を中東からの輸入石油に依存していた日本は、この石油戦略の直撃を受けることとなった。国内では原油供給の途絶や価格高騰への不安から、消費者のパニック心理が煽られ、トイレットペーパーや洗剤などの生活必需品の買いだめ騒動が発生した。また、物価は急速に上昇し、当時の田中角栄内閣が進めていた「日本列島改造論」に伴うインフレーションとも相まって、1974年には「狂乱物価」と呼ばれる極端なインフレ状態を招き、社会は大きな混乱に陥った。
高度経済成長の終焉と産業構造の転換
この第4次中東戦争を発端とする第1次石油危機は、戦後の日本経済のあり方を根底から覆した。1974年度の実質経済成長率は、戦後初のマイナス成長(マイナス1.2%)を記録し、1950年代半ばから続いていた高度経済成長は名実ともに終焉を迎えた。これ以降、日本政府はアメリカ追従一辺倒から、中東諸国との直接協調を模索する「親アラブ」的な自主外交へと舵を切ることとなった。また、産業界でも従来の重化学工業(重厚長大)から、省エネルギー・ハイテク産業(軽薄短小)への構造転換が急速に進むこととなった。