知恩院 (ちおんいん)
【概説】
京都府京都市東山区にある浄土宗の総本山。宗祖である法然が専修念仏の教えを広める拠点とし、最後に入滅した吉水(大谷)の地に建てられた寺院。
法然の吉水草庵から大谷寺の創建へ
平安時代末期の1175年(承安5年)、比叡山で修行を積んだ法然(源空)は山を下り、京都の東山吉水(現在の知恩院周辺)に草庵を結んだ。ここで彼は、ひたすら念仏を唱えれば阿弥陀仏に救われるという専修念仏の教えを説き、浄土宗を開宗した。既存の仏教勢力(南都北嶺)からの激しい弾圧(承元の法難など)を乗り越え、流罪から京都へ戻った法然は、1212年(建暦2年)に大谷の地で入滅(死去)した。
法然の没後、その遺徳を慕う門弟の源智(勢観房源智)が、法然の廟堂(大谷霊廟)を整備し、1234年(文暦元年)に四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の勅額を賜った。これが寺院としての知恩院の本格的な始まりである。鎌倉時代を通じて、知恩院は法然の正統な教えを継承する拠点として、独自の発展を遂げていくこととなった。
徳川将軍家による庇護と江戸時代の隆盛
知恩院が現在のような壮大な伽藍(がらん)を形成するに至ったのは、江戸時代初期のことである。徳川家康はみずからが熱心な浄土宗徒であったこと、また実母・伝通院の菩提寺であったことなどから、知恩院を徳川家の菩提寺として定め、大規模な造営に着手した。これには、京都における徳川将軍家の権威を朝廷や諸大名に示すとともに、いざという時の軍事拠点(砦)とする政治的意図もあったとされる。
1633年(寛永10年)の火災により多くの堂宇を焼失したものの、三代将軍徳川家光の強力な支援のもとですぐさま再建が進められた。このときに造営された、日本最大級の二重門である「三門」や、法然の尊像を安置する広大な「御影堂(本堂)」は、いずれも江戸時代を代表する仏教建築として現在国宝に指定されている。徳川幕府の手厚い庇護のもと、知恩院は名実ともに浄土宗の最高峰としての地位を不動のものとした。