真言律宗 (しんごんりっしゅう)
【概説】
鎌倉時代中期に僧・叡尊が興した、真言密教の教理と厳格な戒律の復興を融合させた仏教宗派。大和国(奈良県)の西大寺を総本山とし、独自の戒律観に基づく社会救済事業や土木事業を精力的に展開した。
旧仏教の自己革新と「自誓受戒」
鎌倉時代には法然や親鸞、日蓮らによる「鎌倉新仏教」が台頭したが、これに対抗する形で、従来の伝統的な「旧仏教(南都北嶺)」の側からも強力な自己革新運動が起こった。その中心にいたのが、東大寺などで学び、形骸化した当時の仏教界を批判した叡尊(興正菩薩)である。
叡尊は、仏教が本来持つ道徳規範である「戒律」の破綻を深刻に受け止め、1236年に仲間とともに、師僧を介さずに仏前で自ら誓いを立てて正式な僧侶となる自誓受戒(じせいじゅかい)を敢行した。これは従来の国家管理的な受戒制度を乗り越える画期的な試みであった。彼は真言密教の神秘的な実践と、律宗の厳格な戒律主義を一本化し、荒廃していた奈良の西大寺を拠点に「真言律宗」の一派を確立した。
忍性の実践と社会救済・土木事業
真言律宗の最大の特徴は、単なる教理の研究や個人の解脱にとどまらず、菩薩行(利他行)の実践として社会的な弱者救済や公共事業を組織的に行った点にある。この実践面において主導的な役割を果たしたのが、叡尊の弟子である忍性(良観房)であった。
忍性は、非人やハンセン病患者などの社会的孤立者を仏の救済対象として温かく包摂し、奈良に北山十八間戸(きたやまじゅうはちけんど)と呼ばれる救済施設を設けた。のちに鎌倉幕府の招きに応じて東国に下向すると、鎌倉の極楽寺を拠点として北条氏(特に極楽寺流北条氏)の帰依を受け、関東一円に大きな影響力を及ぼした。また、彼は単なる慈善活動にとどまらず、架橋、道路の整備、井戸の掘削など、現代でいう社会インフラの整備(土木事業)も数多く手掛け、中世社会の福祉と経済の発展に多大な貢献を果たした。