生産経済

重要度
★★

【参考リンク】
経済(Wikipedia)

生産経済

紀元前10世紀頃〜

【概説】
自然界の動植物を直接採集・捕獲する「獲得経済」に対し、自ら農耕や牧畜を営み、計画的に食料を作り出す経済段階のこと。日本列島においては、縄文時代晩期から弥生時代にかけて、大陸より伝来した水稲耕作の普及を契機に本格的な移行が始まった。これにより、人々の生活様式や社会構造は根底から変革されることとなった。

獲得経済から生産経済への歴史的転換

旧石器時代から縄文時代にかけての日本列島では、狩猟、採集、漁労を基礎とする獲得経済(自然依存経済)が展開されていた。縄文時代の中期や晩期には、植物の準栽培などの萌芽的な試みが見られたものの、基本的な生活物資は自然の恵みに依存していた。しかし、紀元前10世紀頃(異説あり)より、朝鮮半島を経由して水稲耕作の技術が九州北部に伝来すると、自ら食料を再生産する生産経済への移行が本格化した。この変化は単なる食料調達手段の変更にとどまらず、人々の定住化を決定づけ、弥生文化を形成する直接の原動力となった。

社会構造の変革と階級・国家の誕生

生産経済への移行は、日本列島の社会構造に不可逆的な変化をもたらした。水稲耕作は多大な共同労働と、水路などの灌漑施設の管理を必要とするため、人々の結合力が強まり、強固な共同体(環濠集落など)が形成された。また、生産技術の向上に伴い余剰生産物が生まれると、それを蓄積・管理する者とそうでない者の間に貧富の差や社会的格差(階層化)が生じるようになった。さらに、好適な耕作地や水源の確保をめぐる集落間の衝突(戦争)が頻発するようになり、やがてこれらを統合・支配する有力な首長(王)が現れ、「クニ」と呼ばれる初期の政治権力(国家)の形成へと繋がっていった。

日本列島における生産経済の地域性と多様性

日本における生産経済の受容は、列島全体で一様だったわけではない。西日本において水稲耕作を中心とする生産経済が急速に定着した一方、東日本や東北地方では、縄文以来の豊かな自然環境を背景に、獲得経済の伝統が根強く残り、両者が融和した生活様式が長らく続いた。また、北海道の続縄文文化や南西諸島の貝塚文化のように、水稲農耕を受け入れず、地域の生態系に適合した獲得経済を維持・発展させた地域も存在する。このように、弥生時代の日本列島は、生産経済の一元化が進む地域と、地域特有の獲得経済が継続する地域が複雑に交錯する、多様性に富んだ状況であった。

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Q. 「和を以て貴しと為す」で始まり、天皇の命令に従うことなど、役人のあるべき姿や道徳的な教訓を示した法を何というか?
Q. 3世紀に朝鮮半島に置かれ、邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送る際に最初に経由した中国の出先機関はどこか?
Q. 望楼や二重の環濠など厳重な防御施設を備え、「クニ」の中心であったと考えられる佐賀県にある弥生時代最大級の遺跡はどこか?