無著・世親像

興福寺北円堂に安置されている運慶らの作で、インドの法相宗の祖師の兄弟を極めて写実的に表現した木造彫刻は何か?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
世親(Wikipedia)

無著・世親像 (むじゃく・せしんぞう)

1212年頃

【概説】
鎌倉時代を代表する仏師・運慶の指導のもと、その一門が制作した興福寺北円堂に安置されている木造彫刻。4世紀頃のインドの実在の学僧である無著(アサンガ)と世親(ヴァスバンドゥ)の兄弟をモデルとし、鎌倉彫刻の極致とも言える写実表現が施された肖像彫刻の傑作である。

南都焼討からの復興と慶派の躍進

治承4年(1180年)、平重衡による南都焼討によって、東大寺や興福寺をはじめとする奈良の主要な寺院は壊滅的な打撃を受けた。平氏滅亡後の鎌倉時代初期、幕府や朝廷の支援のもとでこれらの寺院の復興事業が精力的に進められた。この復興造仏において主導的な役割を果たし、一世を風靡したのが、仏師・運慶や快慶らを擁する慶派(けいは)の集団であった。

興福寺北円堂の本尊である弥勒如来(みろくにょらい)坐像、およびその周辺を飾る諸像の制作は、運慶が総指揮を執り、彼の一門(実子である湛慶、康運、康弁ら)が分担して当たった。無著・世親像はその一環として建暦2年(1212年)頃に完成したとされる。法相宗の祖師であるインドの学僧兄弟を、本尊を挟むように左右に配したこの一対の像は、運慶晩年の指導力が遺憾なく発揮された、鎌倉期肖像彫刻の最高峰として位置づけられている。

徹底した写実性と精神性の融合

無著・世親像の最大の特徴は、それまでの平安時代の貴族好みな定朝様(じょうちょうよう)とは一線を画す、徹底した写実性(リアリズム)にある。両像は実在の人物であるが、写真などの視覚資料がない時代において、運慶らは人間の骨格や筋肉の動き、皮膚のたるみ、衣の質感などを冷徹なまでに見つめ、木彫の中に再現した。

特に、眼球に水晶をはめ込んで生身の人間のような鋭い眼光を表現する玉眼(ぎょくがん)の技法が効果的に用いられている。兄である無著像は、どっしりとした体躯に老僧の深い慈愛と包容力を湛え、手に包みを持った静的な姿で表されている。一方、弟の世親像は、やや若々しく引き締まった体躯で、何かを訴えかけるような鋭い眼差しを前方に向けた動的なポーズをとる。この「静と動」「老と若」の対比は、単なる外見の模写にとどまらず、内に秘めた高い精神性や求道者としての魂をも表現することに成功しており、中世日本の人間観の深まりを今日に伝えている。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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