民本主義

吉野作造が提唱し、天皇主権の大日本帝国憲法下において、民主政治の実現を理論的に裏付けた思想を何というか?
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【参考リンク】
民本主義(Wikipedia)

民本主義

1916年

【概説】
大正時代に政治学者の吉野作造が提唱した政治思想。主権の所在(天皇主権)には触れず、政治の決定や目的を「一般民衆の意向・利益」に置くべきとする考え方である。大正デモクラシーの理論的支柱として、当時の社会運動や政治改革に多大な影響を与えた。

デモクラシーの翻訳と「民本」の定義

民本主義は、東京帝国大学教授であった吉野作造が、1916年(大正5年)に総合雑誌『中央公論』へ発表した論文「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」において提唱した政治概念である。吉野は西洋の「デモクラシー(democracy)」を日本に導入するにあたり、それを法律上の主権の所在を示す「民主主義」と、政治の運用方針を示す「民本主義」の二つに明確に区別した。

大日本帝国憲法下では「天皇主権(主権在君)」が絶対的な国体の原則とされており、主権在民を意味する民主主義をそのまま主張することは、憲法違反や国体破壊として厳しく弾圧される危険があった。そこで吉野は、主権が誰にあるかという法理的な議論を巧みに回避し、「主権者が誰であれ、主権の行使は民衆の意向に従い、民衆の利益のために行われるべきである」とする政治的・道徳的な運用原理として民本主義を提唱したのである。

民本主義の具体的な二大主張

吉野作造が民本主義の実現のために不可欠であるとした具体的な政策要求は、大きく二つの柱から成り立っていた。第一は、政党内閣制の確立である。これは、一部の藩閥や特権階級が政治を独占するのではなく、選挙を通じて示された民意を背景に持つ政党が内閣を組織し、政治の目的を「一般民衆の利益」に置くべきだという主張であった。

第二は、普通選挙の実現である。当時の選挙権は一定額以上の直接国税を納める一部の富裕層に限定されていたため、吉野は政権の決定を「一般民衆の意向」に基づくものにするためには、財産による納税資格制限を撤廃して広く国民に選挙権を開放する必要があると論じた。この二つの主張は、極めて現実的かつ漸進的な改革案として当時の人々に広く受け入れられていった。

大正デモクラシーにおける歴史的意義と限界

民本主義は、第一次世界大戦後の国際的な民主化の波や、急速な資本主義の発達に伴う大衆社会の到来と見事に合致した。吉野の論理的で説得力のある主張は、知識人だけでなく学生や都市の中間層、労働者にまで熱狂的に支持され、大正デモクラシーの巨大なうねりを生み出す理論的支柱となった。吉野らが結成した啓蒙団体である黎明会や、東京帝大の学生を中心とした新人会の活動なども、この民本主義の影響下で活発に展開されている。

その結果、1925年(大正14年)の普通選挙法の成立や、大正末期から昭和初期にかけての「憲政の常道」と呼ばれる政党内閣の連続的な成立をもたらすなど、日本の近代政治史において計り知れない貢献を果たした。一方で、民本主義はあくまで天皇制(大日本帝国憲法の枠組み)を大前提とした改良主義であったため、1920年代以降にマルクス主義などのより急進的な社会主義思想が台頭すると、「不徹底なブルジョア思想」として左翼の青年たちから批判されるという限界も持ち合わせていた。

吉野作造博士民主主義論集〈第1巻〉民本主義論 (1946年)

大正デモクラシーの理論的支柱による、日本の民主主義を考える上で不可欠な民本主義の基本文献。

日本政治思想史研究

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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