武蔵(戦艦) (むさし)
1942年〜1944年
【概説】
太平洋戦争期に大日本帝国海軍が建造した、史上最大級の大和型戦艦の2番艦。当時世界最強の46センチ主砲と極めて堅牢な防御力を誇り、連合艦隊旗艦も務めた巨大戦艦。しかし、1944年のレイテ沖海戦において、米軍航空機による圧倒的な集中攻撃を浴びてシブヤン海に沈没した。
大艦巨砲主義の結晶と「武蔵」の誕生
戦艦「武蔵」は、軍縮条約の失効後に米海軍への対抗策として計画され、三菱重工業長崎造船所にて極秘裏に建造が進められた。1942年8月に竣工し、姉妹艦「大和」とともに、世界最大口径である46センチ主砲を搭載した最強の戦艦として日本海軍の象徴となった。その強固な装甲と排水量は当時の造船技術の粋を集めたものであり、まさに「不沈艦」と呼ぶにふさわしい威容を誇っていた。1943年には連合艦隊司令長官・山本五十六の遺骨を日本本土へと送り届けるなど、一時期は連合艦隊旗艦としての重責も担った。
シブヤン海海戦と「不沈艦」の最期
しかし、太平洋戦争の主戦場はすでに戦艦同士の砲撃戦から、航空母艦(空母)と艦載機を中心とする空中戦へと移行しており、「武蔵」のような巨大戦艦が活躍できる局面は失われつつあった。1944年10月、フィリピン防衛を目的とした「捷一号作戦」が発動され、武蔵は栗田健男中将率いる第一遊撃部隊(栗田艦隊)に配備されて出撃した。10月24日、レイテ沖海戦の一環であるシブヤン海海戦において、武蔵は米空母機の執拗な猛攻に晒された。魚雷20本、爆弾17発という凄まじい被弾に耐え抜いたものの、最終的に浸水が限界に達して横転、沈没した。この武蔵の最期は、かつての大艦巨砲主義が完全に終焉し、兵器の主役が航空機へと移り変わった歴史的事実を決定づける象徴的な出来事となった。