楼閣

重要度
★★

楼閣 (弥生時代中期頃)

【概説】
弥生時代の遺跡(特に奈良県の唐古・鍵遺跡)から出土した土器に描かれた、複数階の屋根を持つ高層の木造建築物。
共同体の祭祀を執り行う神聖な場、あるいは集落の権威を示す象徴的なモニュメントとしての機能を持っていたと考えられている。
当時の建築技術の到達点を示すとともに、階層化が進む弥生社会の精神世界を紐解く重要な手がかりである。

唐古・鍵遺跡の絵画土器と楼閣の発見

楼閣の存在が広く知られる契機となったのは、奈良県田原本町に位置する日本最大級の環濠集落遺跡、唐古・鍵遺跡(からこ・かぎいせき)から出土した絵画土器である。1991年の発掘調査において、弥生時代中期(紀元前1世紀頃)の土器の破片に、二重の屋根と梯子、そして屋根から突き出た特徴的な「逆S字状」の装飾が施された建物の絵が発見された。

この発見は、平屋の竪穴住居や高床倉庫が主流と考えられていた弥生時代の建築観を覆すものであった。土器に描かれた絵を基に、唐古・鍵遺跡史跡公園内には高さ約12.5メートルの復元楼閣が建設され、当時の高度な木工技術を現代に伝えるシンボルとなっている。

楼閣の機能と社会的・宗教的意義

弥生時代の楼閣がどのような目的で建てられたかについては、いくつかの説があるが、最も有力視されているのが祭祀(宗教的儀礼)の場としての機能である。土器に描かれた楼閣の屋根の先端には、鳥のような造形物が描かれている。弥生時代において「鳥」は、穀物の精霊を運ぶ使者や、死者の魂を導く神聖な動物として崇められていた。このことから、楼閣は首長やシャーマンが天上の神々と交信するための、きわめて精神性の高い空間であったと推定される。

また、軍事的な監視塔(望楼)としての側面や、巨大な建築物を見せることで周囲の他集落に対して自集落の軍事・経済的優位性を誇示する、政治的なランドマークとしての役割を担っていたとも考えられている。佐賀県の吉野ヶ里遺跡でも、集落の中枢部から「北の内郭」と呼ばれる巨大な主祭殿(楼閣状の建物)が復元されており、階層化が進行した「クニ」の誕生期において、首長の権威を具現化する存在であったことが窺える。

弥生建築技術の発展と掘立柱建物

楼閣のような多層の高層建築を支えるためには、従来の竪穴住居とは異なる高度な土木・建築技術が必要であった。その基盤となったのが、地面に穴を掘って直接太い柱を埋め込む掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)の技術である。

鉄製工具(鉄斧や鉄鑿など)の普及に伴い、大木を精緻に加工して強固な部材(梁や桁)を接合することが可能となった。さらに、重い屋根の荷重を支え、風雨による揺れに耐えるための構造計算的思考がすでにこの時代に萌芽していたことを、楼閣の存在は証明している。このように、楼閣は弥生社会における技術革新と、集落の統合に向けた組織力の向上を示す、歴史的なマイルストーンなのである。

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