木棺 (もっかん)
【概説】
古墳時代に主に用いられた、遺体を安置するための木製の棺。巨大な丸太をくり抜いて作られた「割竹形木棺」や、複数の板材を接合した「組合式木棺」などがあり、古墳の埋葬施設において重要な役割を担う考古資料である。
割竹形木棺と前期古墳の埋葬様式
古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀)を代表する木棺が、割竹形木棺(わりたけがたもっかん)である。これは、巨木(主にコウヤマキなどの針葉樹)を縦に二つに割り、内部をノミなどで丸くくり抜いて「身(受部)」と「蓋(蓋部)」としたものである。その形状が、割った竹を合わせたように見えることからこの名がある。
前期の大型前方後円墳などでは、この割竹形木棺が竪穴式石室の中に安置されるのが一般的な埋葬様式であった。石室を造らず、木棺の周囲を直接粘土で被覆する「粘土槨(ねんどかく)」という簡略化された様式も広く見られる。木棺内には被葬者である首長の遺体とともに、三角縁神獣鏡をはじめとする銅鏡や、碧玉製の石製アクセサリー(車輪石や石釧など)、鉄製武器が整然と副葬され、呪術的・軍事的な権威を象徴する聖なる空間が形作られていた。
木棺の多様化と技術的変遷
古墳時代中期(5世紀)に入ると、社会構造の変化や木工技術の進歩を背景に、木棺の形状は多様化した。丸太をくり抜く割竹形木棺のほかに、平らな板材を組み合わせて箱型にする組合式木棺(くみあわせしきもっかん)や、船の形状を模した舟形木棺(ふながたもっかん)などが登場する。
この背景には、割竹形木棺に適合するような、樹齢数百年に達する大口径の巨木の確保が次第に困難になったことや、大陸・朝鮮半島から鉄製工具をはじめとする高度な木工技術が伝来したことが挙げられる。また、この時期には「長持形石棺」などの石棺(せっかん)も畿内の王陵級古墳で採用され始め、被葬者の身分や地域性に応じて、木棺と石棺の使い分け(階層化)が進んだ。
樹種同定から見る流通と支配体制
木棺の原材料となる木材の科学的分析(樹種同定)は、当時の政治的交渉や交易ルートを解明する上で重要な手がかりとなっている。特に前期の割竹形木棺に多用されたコウヤマキ(高野槙)は、腐食に強く水に耐える特性を持つが、自生地は主に近畿地方の紀伊半島(吉野川流域など)に限定されている。
このコウヤマキ製の木棺が、畿内のみならず、遠く離れた関東や九州地方の有力古墳からも発見されている。これは、ヤマト政権が優良な木材資源の産地を掌握・管理し、同盟関係を結んだ地方の有力首長に対して、木棺(あるいはその原材料)を下賜・流通させていたことを示している。つまり、木棺の配布と受容のネットワークは、初期の国家形成期における、ヤマト政権を中心とした緩やかな首長同盟の広がりを証明するものなのである。