政体書

1868年閏4月に発布され、アメリカ憲法を参考に三権分立制の導入や太政官七官制などを定めた新政府の基本組織法は何か?
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政体書 (せいたいしょ)

1868年

【概説】
1868年(慶応4年)閏4月、明治新政府が『五箇条の御誓文』を基本方針として発布した新たな政治機構の基本法。アメリカ合衆国憲法などを参考にしつつ、国家権力を太政官に集中させながらも三権分立的な制度を取り入れた近代日本初の成文法的な国家体制の構想である。

制定の背景と『五箇条の御誓文』の具体化

明治新政府は1868年(慶応4年)3月、新たな国是として『五箇条の御誓文』を発布し、「広く会議を興し万機公論に決すべし」といった近代国家建設に向けた基本理念を内外に宣言した。しかし、これはいまだ抽象的な理念にとどまっていたため、これを具体的な政治システム・統治機構として制度化する必要に迫られていた。そこで同年閏4月に発布されたのが『政体書』である。当時、新政府は旧幕府軍との戊辰戦争の最中であり、新体制の正当性と近代的な統治能力を国内外(特に欧米列強と諸藩)にアピールする政治的狙いも強く働いていた。

起草者と欧米政治思想の受容

政体書の起草を中心となって担ったのは、土佐藩出身の福岡孝弟と肥前藩出身の副島種臣である。彼らはアメリカ人宣教師ブリッジマンが清国向けに著したアメリカの歴史・地理書『聯邦志略(れんぽうしりゃく)』などを通じて西洋の政治制度を学び、アメリカ合衆国憲法をモデルとした。近代的な「憲法」という概念がまだ定着していなかった当時の日本において、西洋の三権分立(権力分立)の概念を初めて明文化して取り入れようとした画期的な試みであった。

太政官制への権力集中と「三権分立」の実態

政体書に基づく政治体制は、古代の律令制の名称を復活させた「太政官制」と呼ばれる。最大の特徴は、「天下の権力、総てこれを太政官に帰す」と宣言し、国家の全権力を太政官という単一の最高機関に集中させる中央集権的な原則を打ち出したことである。
その一方で、権力の暴走を防ぐため、太政官の内部に西洋風の三権分立機構を導入した。具体的には、立法を担う「議政官」、行政を担う「行政・神祇・会計・軍務・外国」の5官、司法を担う「刑法官」からなる七官制を敷いた。しかし、議政官の要職にある者が行政官を兼務するなど権力の分離は不完全であり、厳密な意味での三権分立ではなく、あくまで太政官という絶対的な権力の中での「機能的な分担」に過ぎなかった。
また、この政体書には、各官の役人を4年ごとに選挙で入れ替える「官吏公選」の規定も設けられており、近代的な民主制の要素を模索した痕跡も見られる。

地方統治機構の規定と歴史的意義

政体書は中央政府の機構のみならず、地方統治の枠組みにも言及している。新政府が直接支配する直轄地を「」および「」とし、旧来の諸侯(大名)が引き続き統治する領地を「」とする、いわゆる府藩県三治制の基本がここで示された。これにより、江戸時代の幕藩体制から近代的な地方制度へと移行する過渡的な体制が法的に位置づけられた。
政体書体制は、日本において初めて近代的な国家機構の設計図を示した点で極めて重要な歴史的意義を持つ。しかし、戊辰戦争の進展に伴う新政府の権力強化の必要性や、現実の政治運営との乖離から、翌1869年(明治2年)の版籍奉還に伴う官制改革(二官六省制への移行)によって、わずか1年余りで改組されることとなった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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