憲法撮要 (けんぽうさつよう)
1923年
【概説】
大正デモクラシー期を代表する憲法学者・美濃部達吉の著書。天皇機関説に基づき大日本帝国憲法を体系的に解釈した大正期の代表的な名著。昭和期に入り、右翼や軍部による排撃を受け、国体明徴問題の中で発禁処分となった。
天皇機関説の集大成と大正デモクラシー
『憲法撮要』は、東京帝国大学教授であった美濃部達吉が1923(大正12)年に刊行した学術書である。本書は、国家を一つの法律上の「法人」と見なし、天皇はその最高機関として憲法に従って統治権を行使するという天皇機関説の集大成的な著作であった。この学説は、天皇個人に絶対的な主権があるとする「君権学説(天皇主権説)」を主張する上杉慎吉らと対立したが、政党政治や議会政治に憲法上の理論的根拠を与えるものとして、当時の学界や政界、官僚層に事実上の「官認学説」として広く受け入れられた。
国体明徴問題による弾圧と発禁処分
しかし、1930年代に入り軍部や右翼勢力が台頭すると、天皇機関説は「日本の国体(万世一系の天皇が統治する国柄)に反する不敬な学説である」として激しい攻撃の対象となった。1935(昭和10)年、貴族院議員となっていた美濃部は議会で排撃され、岡田啓介内閣は軍部や右翼の圧力に屈して、天皇機関説を排斥する国体明徴声明を立て続けに発表した。この「国体明徴問題」の渦中において、美濃部の主著である『憲法撮要』は、『逐条憲法精義』や『憲法講話』とともに著書発禁処分(出版法違反)となり、美濃部自身も公職を退くことを余儀なくされた。この事件は、日本における学問の自由と立憲主義の崩壊を象徴する出来事となった。