慧灌 (えかん)
生没年不詳
【概説】
飛鳥時代に高句麗から来日した渡来僧。日本において学問仏教の先駆けとなる三論宗を初めて伝え、その功績によって僧正に任じられた人物である。
高句麗からの来日と三論宗の伝来
慧灌は高句麗の出身で、中国の隋に渡って三論宗の大成者である吉蔵(嘉祥大師)に師事し、その深遠な教理を究めた。推古天皇33年(625年)に来日し、元興寺(飛鳥寺)に入って三論の学説を講じた。これが日本における三論宗伝来(元興寺伝、または南寺伝)の始点とされる。三論宗は、大乗仏教の理論的基礎である「空(くう)」の思想を説く宗派であり、慧灌の教えによって、それまで現世利益的・信仰的側面が強かった初期の日本仏教に、体系的な教理研究(学問仏教)の道が開かれることとなった。彼の系譜は、弟子の智蔵らへと受け継がれ、後の奈良仏教(南都六宗)の形成に決定的な影響を与えた。
雨乞いの奇跡と僧正任官の歴史的意義
慧灌は優れた学識のみならず、呪術的な祈祷力によっても朝廷の信任を得た。来日当時、日本は大飢饉と深刻な干ばつに見舞われていたが、慧灌が推古天皇の勅命によって雨乞いの儀式を行ったところ、ただちに霊験(大雨)が現れたと伝えられている。この功績により、慧灌は朝廷から厚く賞せられ、僧侶を統制する最高官職である僧正(あるいはそれに次ぐ高位)に任じられた。また、大和国井上(現在の奈良県)の地を賜って寺を建てたことから、後世に「井上(いのかみ)僧正」とも称された。これは、渡来僧がその高い技術や宗教的権威をもって日本の国家統治や官僚制的な僧綱制度の整備に深く寄与した、初期の重要な具体例である。