恐慌

資本主義の景気循環の中で、生産と消費のバランスが崩れ、急激な物価下落や企業の倒産をもたらす経済危機を何というか?
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恐慌

【概説】
資本主義経済において、生産過剰などを原因として急激に物価が下落し、企業の倒産や大量の失業者が発生する深刻な経済危機。日本においては、産業革命が進展して資本主義が確立しつつあった明治時代中期に初めて本格的な恐慌が発生し、以後の経済・社会構造に多大な影響を与えた。

日本における最初の本格的恐慌

日本史において、最初の本格的な資本主義的恐慌とされているのが1890年(明治23年)恐慌である。1880年代前半の松方デフレを乗り越えた日本経済は、1886年頃から鉄道や紡績を中心とした企業勃興(第1次企業勃興)と呼ばれる急激な好景気に沸いた。しかし、投機的な企業設立が相次いだ結果としてたちまち生産過剰に陥り、さらに国内の凶作や主要な輸出品であったアメリカ向けの生糸輸出の不振が重なることで、1890年に株式や米価の暴落を引き起こした。この出来事は、日本の経済が世界市場の動向と連動し、資本主義特有の景気循環の波に本格的に組み込まれたことを明確に示した。

日清・日露戦争と景気循環のサイクル

明治時代を通じて、日本の資本主義は「戦争に伴う好況」と「戦後の反動による恐慌」というサイクルを繰り返しながら発展していった。日清戦争後には、獲得した賠償金を元手とした第2次企業勃興が起きたが、1897年の金本位制確立に伴う緊縮財政や貿易の逆調などを背景として、1900年(明治33年)恐慌が発生した。さらに日露戦争後の好景気の後にも、アメリカでの金融恐慌の波及を直接的な契機として1907年(明治40年)恐慌に見舞われている。このように、好況期に生産設備を拡大し、恐慌期に経営基盤の弱い企業が淘汰されるという激しい新陳代謝の過程を通じて、日本の産業革命は軽工業中心から徐々に重工業へとその水準を引き上げていったのである。

独占資本(財閥)の形成と社会問題の発生

恐慌が頻発する事態は、日本経済の構造に決定的な変化をもたらした。深刻な不況下で資金繰りに窮した多くの中小企業が次々と倒産、あるいは吸収合併される一方で、豊富な資金力を持つ三井・三菱・住友・安田などの特権的な政商は、銀行などの金融機関を中核として産業支配を強め、独占資本である財閥へと成長を遂げていった。同時に、恐慌のたびに発生する大量の失業者や、企業による過酷な賃金切り下げなどの労働条件の悪化は、労働者の不満を高め、労働組合期成会の結成など労働運動や社会主義運動を萌芽させる原因となった。恐慌は、資本主義の構造的矛盾を露呈させ、労資対立という新たな社会問題を日本にもたらしたのである。

大正・昭和の「慢性的大不況」への系譜

明治時代に定着した恐慌というメカニズムは、その後の時代により破滅的な形で現れることとなる。第一次世界大戦の「大戦景気」による未曾有の好況の後、1920年の戦後恐慌を皮切りに、1923年の震災恐慌、1927年の金融恐慌と連なる大正・昭和初期の慢性的な大不況時代へと突入した。そして最終的には1929年の世界恐慌の波及による昭和恐慌(1930年)という最悪の事態に行き着く。明治時代に産声を上げた日本の資本主義経済の脆さは、これら一連の恐慌を通じて限界に達し、最終的に日本を国家ぐるみの統制経済や、農村の窮乏を背景とした対外侵略(ファシズム)への道へ駆り立てる歴史的な原動力となったのである。

昭和恐慌の研究

戦間期日本の経済構造を再検証し、当時の危機の深層に鋭く切り込んだ歴史学的分析の決定版。

日本経済の死角 ――収奪的システムを解き明かす (ちくま新書 1840)

構造的な搾取の正体をあぶり出し、混迷を極める現代日本社会の病理を射抜いた渾身の警世の書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 享保の改革で本百姓の没落を防ぐため、借金の担保とした田畑の所有権が金融業者(地主)に移ることを禁じた法令は何か?
Q. 佐野学や鍋山貞親の声明に影響され、獄中の共産主義者や知識人が相次いで思想を放棄した現象を何というか?
Q. 第3次桂内閣が、海軍大臣の就任拒否を抑えたり、議会を停会させたりするために天皇の権威(天皇の命令)をたびたび利用したことを何と批判したか?