得宗専制政治

霜月騒動以降に確立した、幕府の公式な機関である評定衆などを形骸化させ、北条氏の当主と御内人が権力を独占した政治体制を何というか?
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★★★

【参考リンク】
得宗専制(Wikipedia)

得宗専制政治 (とくそうせんせいせいじ)

13世紀後半〜1333年

【概説】
鎌倉時代後期において、北条氏の嫡流である得宗とその私的な家臣(御内人)が幕府の実権を独占した政治体制。本来の幕府の最高機関であった執権や評定衆が形骸化し、得宗の私的な会議である寄合が国政を動かすようになった。元寇という国家的危機を背景に確立したが、権力の偏重は御家人層の強い不満を招き、鎌倉幕府滅亡の最大の要因となった。

得宗と御内人の台頭

「得宗(とくそう)」とは、第2代執権・北条義時を事実上の初代とする北条氏の嫡流(家督)を指す呼称である。鎌倉時代中期以降、北条氏は一門で幕府の要職を独占するようになったが、その中でも得宗家の権威と経済力は抜きん出ていた。得宗家は全国に広大な「得宗領」を保有し、その所領を管理して得宗に個人的に仕える私的な家臣団を御内人(みうちびと)と呼んだ。また、この御内人を統括する筆頭家僕の地位を内管領(うちかんれい)という。

本来、鎌倉殿(将軍)と直接の主従関係を結ぶ「御家人」に対し、御内人はあくまで得宗家の私兵・家臣に過ぎず、身分的には御家人よりも下位に位置づけられていた。しかし、得宗の権力が伸長するにつれて、その手足となって動く御内人が幕府内での影響力を強め、次第に一般の御家人を凌駕するようになっていった。

元寇の危機と専制体制の確立

得宗への権力集中が決定的なものとなった最大の契機は、13世紀後半の元寇(蒙古襲来)である。未曾有の国難に際し、第8代執権の北条時宗は、迅速な意思決定と強力な軍事統制を必要とした。これを口実として幕府は非御家人層への動員権をも掌握し、九州などの西国を中心とする各地の守護職を北条氏一門で独占していった。

この過程で、従来の幕府の最高意思決定機関であった執権や評定衆・引付衆による合議制は形骸化していった。代わって、得宗の私邸で行われる私的な会議である寄合(よりあい)が、幕府の重要政策を決定する事実上の最高機関となった。こうして、幕府の公的な政治機構の上に、得宗の私的な権力機構が君臨する「得宗専制政治」が確立されたのである。

霜月騒動と権力の変質

時宗の死後、第9代執権に北条貞時が就任すると、幕府内部で主導権争いが激化する。1285年、有力御家人を代表する安達泰盛と、内管領の平頼綱(たいらのよりつな)が激しく対立し、頼綱が泰盛一族を滅ぼす霜月騒動が勃発した。これにより、幕政における一般御家人の影響力は大きく後退し、得宗の被官にすぎない御内人が幕政を主導するという異常な事態に陥った。

その後、1293年の平禅門の乱で貞時が専横を極めた平頼綱を討伐したことで、得宗自身への権力集中は頂点に達した。しかし、貞時の晩年から第14代執権・北条高時の時代にかけては、得宗の当主自身が政治を顧みなくなり、再び内管領の長崎高資(ながさきたかすけ)ら有力な御内人が実権を振るうようになった。

幕府滅亡への道

得宗専制政治の極端な進行は、御家人層に深刻な不満をもたらした。元寇後の恩賞不足や、分割相続による所領の細分化で多くの御家人が窮乏する中、北条氏一門や御内人ばかりが富と権力を独占する構造は、鎌倉幕府の根幹であった「御恩と奉公」の主従関係を根本から揺るがした。本来対等な立場であるはずの御家人が、得宗の私的家臣である御内人の風下に立たされることは、武士のプライドを著しく傷つけるものであった。

こうした不満は、次第に幕府の統制に従わない「悪党」の活動を活発化させ、社会不安を増大させた。最終的に、この御家人たちの広範な反幕府感情は、後醍醐天皇による倒幕運動(元弘の乱)と結びつき、足利尊氏や新田義貞らの挙兵を誘発して、1333年の鎌倉幕府滅亡へと直結したのである。得宗専制政治は、国家危機に対応するための強力な権力集中であったが、皮肉にもそれが幕府の支持基盤を自ら破壊する結果を招いたと言える。

北条氏の時代 (文春新書 1337)

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選書日本中世史 3 将軍権力の発見 (講談社選書メチエ 468 シリーズ選書日本中世史 3)

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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