帝国主義
【概説】
19世紀後半以降、高度に発達した資本主義を背景に、欧米列強が独占資本の投下先や原料供給地、市場を求めて武力でアジアやアフリカなどを植民地化・従属化させていった世界的な動向。
日本史においては、幕末期に国家存亡を脅かす外圧として現れ、その後の明治政府による富国強兵策の推進、さらには日本自身の帝国主義国家への変貌と大陸進出を決定づけた重要な時代背景である。
欧米列強の帝国主義と東アジアへの波及
19世紀後半、欧米諸国では重化学工業を中心とする第二次産業革命が進展し、資本主義は自由競争から巨大企業や銀行による独占資本主義へと移行した。列強(イギリス、フランス、ロシア、ドイツ、アメリカなど)は、国内で蓄積された余剰資本の有利な投下先や、安価な原料供給地、製品の販売市場を求めて、海外への膨張政策を本格化させた。
東アジア地域もこの帝国主義の波と無縁ではなく、1840年代のアヘン戦争を契機に大国・清が次々と列強に蚕食され、半植民地化の道を歩み始めた。日本に対しても、1853年のペリー来航に象徴されるように、圧倒的な軍事力を背景とした開国要求が突きつけられた。この強大な外圧の脅威こそが、日本の幕藩体制を崩壊させ、明治維新という近代国家建設へと向かわせる最大の歴史的要因となったのである。
独立の維持と富国強兵路線の推進
欧米列強の植民地支配体制に組み込まれることを防ぐため、明治新政府は「富国強兵」「殖産興業」を国是として掲げ、急進的な近代化政策を推し進めた。幕末に結ばれた不平等条約(関税自主権の欠如、領事裁判権の容認)の改正は、日本の国家的主権を回復するための至上命題であった。
条約改正を実現して列強と対等の立場を得るため、日本は西洋の法制度の導入や立憲体制の確立(大日本帝国憲法の制定)を急いだ。同時に、軍事力の強化を図る中で、日本自身が西洋の帝国主義的な国際法(万国公法)や弱肉強食の論理を内面化し、自らを列強の側に引き上げようとする志向を強めていくこととなる。
日本の帝国主義化と大陸進出
1890年代に入ると、日本の資本主義も産業革命期を迎え、より広大な市場や資源を求めるようになった。第一回帝国議会において首相・山縣有朋が演説した「主権線(国境)」と「利益線(朝鮮半島)」の概念に示されるように、日本の防衛と経済発展のためには朝鮮半島への影響力確保が不可欠とみなされた。
この過程で、朝鮮の権益をめぐって清と衝突し、日清戦争(1894〜1895年)が勃発する。この戦争に勝利した日本は、巨額の賠償金とともに台湾を領有し、初の本格的な海外植民地を獲得した。ここに日本は後発の帝国主義国家としての第一歩を踏み出したのである。続いて、満州・朝鮮の支配権をめぐりロシアと激突した日露戦争(1904〜1905年)にも辛勝したことで、韓国の保護国化(のち1910年の韓国併合)と南満州の権益を獲得し、名実ともに帝国主義列強の一角に食い込んだ。
後発帝国主義国としての日本の特異性と限界
日本の帝国主義は、イギリスやアメリカのような先行する列強とは異なる特徴を持っていた。欧米列強が強大な経済力と過剰資本の輸出を背景としていたのに対し、後発の日本は資本の蓄積が脆弱であり、日露戦争の戦費調達に見られるように欧米からの外債に大きく依存していた。
そのため、国内の狭隘な市場や資源の乏しさを早期に補完すべく、国家の強権的な主導による「軍事的帝国主義」の色彩を強く帯びることとなった。経済的合理性よりも軍事力による領土・権益の拡張が先行しやすかったこの構造は、やがて中国の民族主義運動との激しい対立を引き起こし、第一次世界大戦後に形成された新しい国際協調体制(ワシントン体制など)との深刻な摩擦を生む原因となった。結果として、この大陸膨張への歩みは、昭和期の孤立化とアジア太平洋戦争への道を切り開くことにつながったのである。