小磯国昭

「朝鮮のトラ」の異名を持ち、東条英機の後を継いで首相となったが、戦局の挽回を果たせずに退陣した人物は誰か?
カテゴリ:
重要度
★★★

【参考リンク】
小磯國昭(Wikipedia)

小磯国昭 (こいそくにあき)

1880〜1950

【概説】
太平洋戦争末期、サイパン島陥落により退陣した東条英機内閣の後を継いで内閣総理大臣を務めた陸軍大将。海軍の米内光政との連立内閣を組閣したが、戦局の悪化や独自の和平工作の失敗により、沖縄戦開始直後に総辞職した。

陸軍中枢での台頭と「朝鮮のトラ」

小磯国昭は1880(明治13)年、栃木県に生まれた。陸軍士官学校および陸軍大学校を卒業後、参謀本部を中心にエリートコースを歩んだ。陸軍省軍務局長時代の1931(昭和6)年に勃発した未遂クーデター事件である三月事件に関与したとされるなど、宇垣一成派の有力な軍政家として頭角を現した。

その後、陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官などの要職を歴任し、その風貌と剛腕から「朝鮮のトラ」の異名をとった。平沼騏一郎内閣や米内光政内閣では拓務大臣として入閣し、1942(昭和17)年には朝鮮総督に就任。戦時下における朝鮮半島の統治と内鮮一体化政策を強力に推進し、徴兵制の導入など過酷な動員体制を敷いた。

東条内閣の退陣と小磯・米内協力内閣の成立

1944(昭和19)年7月、絶対国防圏の要衝であったサイパン島が陥落し、東条英機内閣が総辞職した。後継首相の選定において、重臣たちは陸海軍の融和と難局打開を意図し、陸軍大将の小磯と海軍大将の米内光政の両名に大命を降下させるという異例の措置をとった。こうして、米内が副総理格(海軍大臣兼任)として入閣する小磯内閣(小磯・米内連立内閣)が発足した。

しかし、小磯は予備役の陸軍大将であったため現役の軍人に対する統制力に乏しく、軍部中枢、特に大本営との連携に苦心することとなった。これを克服するため、従来の「大本営政府連絡会議」を改組し、首相や外相も作戦指導に参画することを目指した最高戦争指導会議を新たに設置したが、結局のところ軍部の独走に歯止めをかけることはできなかった。

絶望的な戦局と「特攻」の開始

小磯内閣の時期は、太平洋戦争における日本の敗色が決定的なものとなった時期と重なる。1944年10月のレイテ沖海戦で連合艦隊は事実上壊滅し、フィリピンの失陥が確実となった。この絶望的な状況下から、航空機による艦船への体当たり攻撃である特別攻撃隊(特攻)が開始され、戦局の悪化は極限に達していた。

さらに、同年末からアメリカ軍のB-29爆撃機による本土空襲が本格化し、1945(昭和20)年3月の東京大空襲をはじめとする無差別爆撃によって、国民生活と軍需生産力は完全に破壊された。戦争継続が物理的にも精神的にも困難となるなか、小磯は局面打開の道を模索せざるを得なかった。

繆斌(みょうひん)工作の失敗と総辞職

追い詰められた小磯は、独自の対中和平工作(日中全面和平による対米抗戦への一本化、あるいはこれを契機とした終戦工作)を試みた。中国・南京国民政府(汪兆銘政権)の要人であった繆斌(みょうひん)を日本に招き、彼を通じて重慶の蔣介石政権との和平交渉を打診したのである(繆斌工作)。

しかし、この工作は外務大臣の重光葵や陸海軍首脳から「一介の政客に過ぎず、和平の相手として信用できない」と猛反対を受け、最高戦争指導会議において頓挫した。自身の政治的指導力の限界を悟った小磯は、1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島に上陸したのを受けて、その数日後の4月7日に内閣総辞職を余儀なくされた。在任期間は約8ヶ月半であった。

東京裁判と最期

敗戦後、小磯は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によってA級戦犯として逮捕された。極東国際軍事裁判(東京裁判)では、朝鮮総督時代の過酷な統治や、首相として戦争を遂行した責任が問われ、終身禁固刑の判決を受けた。その後、服役中の1950(昭和25)年に巣鴨プリズン内において食道癌のため70歳で病死した。

昭和天皇実録 第十二

激動の昭和史を克明に記録し、天皇の公的・私的な足跡を歴史的資料として編纂した至高の公式記録。

日本のいちばん長い日 決定版 (文春文庫 は 8-15)

終戦の舞台裏で繰り広げられた苦悩と決断のドラマを、極限の緊張感で描き切った歴史ノンフィクションの金字塔。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 守護の職務のうち、国内の御家人に京都の御所などの警備に行くように命令し、指揮することを何というか?
Q. 葛飾北斎が描いた名所絵(風景画)の連作で、「凱風快晴(赤富士)」や「神奈川沖浪裏」など、各地から見た富士山の姿を描いたシリーズは何か?
Q. 遠国奉行の一つで、東大寺や春日大社など、大和国にある有力な寺社の監督や周辺の行政を担当した役職は何か?