太安万侶(安麻呂) (おおのやすまろ)
【概説】
稗田阿礼が暗誦した神話や伝承を筆録し、和銅5年(712年)に『古事記』を編纂して元明天皇に献上した奈良時代の官人。後年の墓誌発見により、その実在と詳細な経歴が証明されたことでも知られる。
『古事記』の編纂と日本語表記への苦心
太安万侶の名を日本史に不朽のものとしている最大の功績は、日本最古の歴史書である『古事記』の編纂である。7世紀後半、天武天皇は国家権威の確立と歴史の正統性を示すため、「帝紀」および「旧辞」の編纂を企図し、記憶力に優れた舎人である稗田阿礼にこれを誦習させていた。しかし、天武天皇の崩御によって事業は一時頓挫する。その後、和銅4年(711年)に元明天皇の詔を受け、阿礼が記憶していた内容を撰録(筆録)する任に就いたのが太安万侶であった。
安万侶の最大の課題は、固有の文字を持たなかった古代日本において、日本古来の言葉(和語)のニュアンスをいかにして中国の文字である漢字を用いて書き記すかという点であった。『古事記』の序文によれば、彼は純粋な漢文の文脈に沿って書くと本来の言葉の響きや精神が失われ、一方で漢字を音の通りに一字一音で書き連ねると文章が長大になりすぎるというジレンマに直面している。その結果、漢字の音と訓を巧みに交じえた「変体漢文(和化漢文)」を考案し、神名や歌謡などの特に重要な固有名詞・表現には一字一音の万葉仮名的な表記を用いるという画期的な手法を編み出した。この工夫によって、翌和銅5年(712年)に全3巻からなる『古事記』が完成し、朝廷へ献上されたのである。
神武天皇の末裔・太氏の出自と実務官僚としての歩み
安万侶が属する太氏(多氏)は、初代・神武天皇の皇子である神八井耳命(かんやいみみのみこと)を祖とする有力な古代氏族である。太氏は古くから神祇や祭祀、伝承の語り部的な役割を担っていたとされ、安万侶が修史事業の編纂者に抜擢された背景には、こうした氏族の持つ歴史的背景が関係していたと考えられる。
一方で、彼は単なる文人や学者であったわけではない。養老年間には国家の財政や民政を司る民部卿(みんぶきょう)に任じられるなど、律令国家の体制を支える中堅の実務官僚としても重用されていた。最終的な官位は従四位下に至っており、当時の貴族社会において着実に出世を遂げた人物であったことがうかがえる。また、和銅13年(720年)に成立した『日本書紀』の編纂事業においても、総裁である舎人親王を補佐して何らかの関与をしたのではないかと推測する見解もある。
太安万侶墓の発見と古代史・考古学的意義
長らく太安万侶に関する事績は『続日本紀』にわずかな記載があるのみであり、近代以降においては『古事記』の偽書説に関連して、彼自身の架空人物説が唱えられることもあった。しかし、1979年(昭和54年)、奈良県奈良市此瀬町の茶畑から火葬された骨が納められた木櫃とともに、銅製の墓誌が出土した(太安万侶墓)。
この墓誌には「左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以養老七年七月六日卒之 養老七年十二月十五日乙巳」と刻まれており、安万侶の居住地や位階、没年月日(養老7年・723年)が明確に記されていた。これにより安万侶の実在が疑いようのない事実として証明されただけでなく、『古事記』成立の歴史的信憑性が大きく高まることとなった。この発見は、戦後日本古代史および考古学における最大の発見の一つと評価されている。