大田文

鎌倉時代に国内の荘園・公領の面積や地頭の氏名などを把握するため、幕府の命で国ごとに作成された土地台帳を何というか?
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重要度
★★★

大田文 (おおたぶみ)

12世紀末〜14世紀

【概説】
鎌倉時代に令制国ごとに作成された、荘園や公領の面積、地頭の氏名などを記した土地台帳。鎌倉幕府が全国の土地状況や権利関係を把握し、一国平均役などの課役を賦課するための基本台帳として機能した。

幕府による土地把握の必要性と成立の背景

鎌倉幕府を開いた源頼朝は、1185年(文治元年)の文治の勅許によって諸国に守護・地頭を設置する権限を獲得した。これにより幕府は御家人を各地の地頭に任命して治安維持や年貢徴収にあたらせたが、その職務を円滑に遂行させ、同時に彼らを統制するためには、各国のどこにどのような荘園や公領(国衙領)があり、誰が実質的な支配者(本所・領家)であるかを正確に把握する必要があった。

そこで頼朝は、朝廷の地方行政機関である国衙(国司)と、幕府の地方官である守護に対し、国内の田地面積(田数)や権利関係を調査し、台帳として提出することを命じた。これが大田文の始まりであり、初期のものは建久年間(1190〜1199年)に作成されたことから建久の惣田数帳(けんきゅうのそうでんすうちょう)などと呼ばれた。その後、1221年の承久の乱を経て幕府の支配権が西国にも深く及ぶようになると、新補地頭の設置にともなってさらに精緻な大田文の作成が全国的に進められた。

記載内容と作成の仕組み

大田文の記載内容は、国ごとに異なる場合もあるが、基本的には郡や郷といった行政区画単位で、荘園・公領の名称、それぞれの田数(面積)、そしてそこを支配する領主(本所・領家)と、現地の管理を担う地頭の氏名が列記されている。

作成にあたっては、国衙が保有していた過去の検田図帳などの公的な土地台帳が基礎データとして利用され、そこに守護が在地から集めた地頭の交替や新たな荘園の立券などの最新情報が加味された。作成された大田文は二通作られ、一通は国衙に留め置かれて朝廷側の行政に用いられ、もう一通は幕府へ提出されて御家人統制の基礎資料となった。

一国平均役の賦課基準としての役割

幕府が大田文を整備した最大の目的は、課役の賦課基準を明確にするためであった。鎌倉時代には、内裏の造営や大規模な寺社の修造、あるいは天皇の即位儀礼などの国家的事業が行われる際、荘園や公領の区別なく、一国の田数に応じて一律に費用や労役を割り当てる一国平均役(いっこくへいきんやく)という税がしばしば課された。

幕府は朝廷からこの一国平均役の徴収を要請されると、大田文に記載された田数をもとに各荘園・公領の地頭に対して負担額を割り当て、徴収を代行させた。また、京都の警備にあたる京都大番役などの御家人役を課す際にも、大田文のデータが不可欠であった。大田文は、まさに公武の権力が交錯する鎌倉時代において、全国規模の徴税・動員システムを支える中核的なインフラであったといえる。

歴史的意義と荘園公領制の実態を伝える一級史料

大田文の存在は、鎌倉幕府が独自の全国的な土地調査網を最初から持っていたわけではなく、朝廷(国衙)の既存の行政システムに強く依存しつつ、自らの役職である守護を通じて情報を集約させていたという、鎌倉期特有の公武二元支配の構造を如実に示している。

現在、『但馬国大田文』『豊後国大田文』や、島津家文書に残る『薩摩国図田帳』『大隅国図田帳』など、一部の国の大田文が現存・復元されている。これらは、特定の国においてどのような権門(皇室・貴族・大寺社)が荘園を持ち、武士たちがどのように地頭として入り込んでいたかという、荘園公領制の複雑な権利構造や地域的特質を具体的に復元するための、極めて重要かつ不可欠な根本史料(一級史料)として高く評価されている。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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