大日本連合婦人会 (だいにっぽんれんごうふじんかい)
1931年
【概説】
1931年に文部省の主導によって結成された官製婦人団体。全国の地域婦人会や学校の母親会などを統合し、家庭教育の振興や生活改善、国防思想の普及を目指した。
官製婦人団体としての誕生と教育的役割
大日本連合婦人会は、文部省(現在の文部科学省)の社会教育行政の主導により、1931(昭和6)年に誕生した。1920年代から進められていた婦人団体の全国的な組織化・統制化の流れを汲み、満州事変の勃発という緊迫する情勢下で結成された。その主な活動目的は、家庭教育の振興や生活改善(家事の合理化など)にあり、文部省の教化方針に沿って、銃後の家庭を支える女性たちの資質向上と指導を図った。これにより、従来は地域ごとに自主的に活動していた婦人会が、国家の教育・教化政策の体系内に組み込まれることとなった。
他団体との競合と戦時統制への統合
昭和初期の日本には、大日本連合婦人会のほかに、皇族や上流階級を基盤とする愛国婦人会や、陸軍の強力な後援を得て「割烹着」をシンボルに急成長した大日本国防婦人会などが存在し、会員の獲得や活動の主導権を巡って激しく競合していた。しかし、日中戦争の長期化に伴う国家総力戦体制の構築に際し、これらの婦人団体の乱立は統制の妨げとみなされるようになった。その結果、1942(昭和17)年に主要な婦人団体が統合され、全既婚女性を強制加入させる強力な戦時組織である大日本婦人会へと一本化された。大日本連合婦人会は、女性を国家の総力戦体制へと動員・包摂していく過程における重要な過渡期の存在であったといえる。