壬申戸籍 (じんしんこせき)
【概説】
1871年(明治4年)に制定された戸籍法に基づき、翌1872年(明治5年、干支は壬申)に編製された日本最初の全国統一戸籍。従来の宗門改帳に代わり、国民の身分・人口を国が直接把握することを目的に作成された。近代的な国家管理体制や富国強兵政策を進める上での強固な基盤となった制度である。
成立の背景と近代国家への歩み
江戸時代の日本では、人々の宗教信仰の確認を兼ねた「宗門改帳(あるいは宗門人別改帳)」によって、領主(大名や幕府)が間接的に領民を把握していた。しかし、これらは地域ごとに様式が異なり、全国的な人口移動や統一的な把握には不十分であった。
明治新政府は、廃藩置県を経て中央集権国家を確立するにあたり、徴税(のちの地租改正)や軍事(のちの徴兵令)の基礎となる正確な人口情報の獲得を急いだ。そこで1871(明治4)年に戸籍法を制定し、翌1872(明治5)年に全国一斉に「壬申戸籍」を編製した。これにより、国家が個々の国民を直接把握する近代的な登録制度が整うこととなった。
「家」の論理と族籍・身分記載の特徴
壬申戸籍は、個人のみならず「家」を基本単位として編成され、戸主(世帯主)を中心に家族の関係を網羅する形式をとった。この仕組みは、のちの明治民法における「家制度」の成立に強い影響を与えることとなる。
また、政府は1871年に「解放令」を発布して身分制度の廃止(四民平等)を打ち出していたが、この戸籍には「華族」「士族」「卒」「平民」といった族籍が明記された。さらに、旧賤民層に対しては「新平民」や「元穢多」「元非人」などといった差別的な表記がそのまま残されるケースが多々あり、実質的な差別構造を存続・固定化させる原因となった。
現代における位置づけと非公開措置
壬申戸籍は、近代日本における人口統計や行政管理の祖として歴史的に極めて重要な史料である。しかし、上述したような被差別部落の出身地情報や旧身分、私的な出自に関わる情報が詳細に記載されているため、深刻な人権侵害や結婚・就職における差別の温床となってきた歴史がある。
このような人権擁護・プライバシー保護の観点から、1968年(昭和43年)に法務省の通達によって閲覧制限が課され、現在では行政機関や法曹関係者であっても原則として全面的に閲覧・開示が禁止(事実上の封印)されている。