九カ国条約
【概説】
ワシントン会議において、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアなどの九カ国間で締結された条約。中国の主権尊重・領土保全、ならびに各国に対する門戸開放・機会均等を原則として定め、これにより日米間の石井・ランシング協定が実質的に破棄された。
成立の背景とワシントン会議
第一次世界大戦後、列強のアジア太平洋地域における権益調整と海軍軍縮を目的として、1921年から1922年にかけてアメリカの主導でワシントン会議が開催された。当時、日本は第一次世界大戦に乗じて中国に対する「二十一カ条の要求」を突きつけ、山東半島の旧ドイツ権益を確保するなど、大陸への進出を強めていた。これに対し、経済的進出を狙うアメリカは日本の覇権拡大を強く警戒し、中国問題の抜本的な解決と新たな国際秩序の構築を図ったのである。
条約の締結と主要な取り決め
1922年2月に調印された九カ国条約には、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、そして当事国である中国が参加した。本条約の核心は、中国における主権尊重・領土保全と、列強各国に対する門戸開放・機会均等の原則を国際的な合意として明確化した点にある。これにより、日本が中国において地理的に近接することから生じる「特殊権益」を持つことをアメリカが認めていた石井・ランシング協定(1917年成立)は実質的に無効化され、翌1923年に正式に破棄されることとなった。
日本への影響とワシントン体制の確立
この条約の成立により、日本は中国における従来の権益拡大路線から大幅な譲歩を余儀なくされた。九カ国条約と並行して行われた日中二国間の懸案解決交渉において、日本は山東半島の権益を中国へ還付する条約を結び、さらに国内外から批判を浴びていたシベリア出兵からの撤兵も表明した。こうして、アジア太平洋地域において軍事的拡張を抑え、列強との協調を重んじる「ワシントン体制」と呼ばれる新たな国際秩序が形成された。日本ではこの体制下において、欧米との協調や中国への内政不干渉を掲げる幣原外交(幣原喜重郎外相による協調外交)が展開されることとなる。
歴史的意義とその後の崩壊
九カ国条約は、第一次世界大戦後の東アジアにおいて、帝国主義的な領土分割から、経済的進出を主眼とする国際協調へのパラダイムシフトを象徴するものであった。しかし、この条約には違反に対する制裁規定がなく、実効性には限界があった。また、1920年代後半から中国で国民革命が進展し、日本の満蒙権益が脅かされるようになると、日本の軍部や右翼勢力はワシントン体制への不満を募らせた。最終的に1931年の満州事変の勃発によって日本は自らワシントン体制から離脱し、九カ国条約が目指した国際協調の枠組みは完全に崩壊することになるのである。