土方歳三 (ひじかたとしぞう)
【概説】
幕末の京都で治安維持にあたった新選組の副長。局長である近藤勇を支えて「局中法度」による厳格な組織統制を行い、新選組を最強の戦闘集団へと育て上げた人物。幕府瓦解後の戊辰戦争では旧幕府軍の指揮官として各地を転戦し、最後の地である箱館(函館)で壮絶な戦死を遂げた。
「鬼の副長」と新選組の組織統制
土方歳三は武蔵国多摩郡(現在の東京都日野市)の豪農の家に生まれた。近藤勇らとともに天然理心流の道場「試衛館」で腕を磨き、1863年に将軍徳川家茂の上洛警護のために結成された浪士組に参加。その後、京都にとどまり、京都守護職である会津藩主・松平容保の配下として新選組を結成した。
土方は副長として局長の近藤を補佐し、実質的な組織運営を担った。隊の規律を維持するために「局中法度」と呼ばれる極めて厳しい鉄のルールを定め、これに背いた者には隊士・幹部を問わず容赦なく切腹を命じた。この冷徹なまでの統率力から「鬼の副長」と恐れられたが、この厳格な規律こそが、新選組を池田屋事件などで名を馳せる幕末最強の治安維持組織へと鍛え上げる原動力となった。
戊辰戦争への転戦と箱館五稜郭での最期
1868年に戊辰戦争が勃発し、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗北すると、近代兵器を擁する新政府軍の前に伝統的な剣術集団であった新選組も敗退を余儀なくされた。甲州勝沼の戦いで敗れ、盟友である近藤勇が新政府軍に捕らえられて処刑された後も、土方は降伏することなく抗戦を続けた。宇都宮城の戦いや会津戦争へと転戦し、洋式軍法を取り入れながら新政府軍に抵抗した。
やがて榎本武揚ら旧幕府海軍と合流して蝦夷地(北海道)へと渡り、箱館の五稜郭を占拠して「蝦夷共和国」とも呼ばれる暫定政権を樹立。土方は陸軍奉行並として前線指揮を執り、新政府軍を幾度も撃退する戦術的才覚を見せた。しかし、1869年の箱館総攻撃の際、一本木関門付近で銃弾を浴びて戦死した。土方の死の直後、五稜郭の旧幕府軍は降伏し、戊辰戦争は終結を迎えることとなった。